この言葉、私のオリジナルかと思いましたが、すでに沢山の人が使用されていました。
私がいう土地本位制とは、
1945年の終戦後、日本国憲法が公布施行され、その後の
1991年のバブル崩壊までの日本の経済体制を象徴する言葉です。
この時代、銀行が顧客へ貸出しするときは、ほぼ100%の率で土地を担保に要求しました。
つまり、銀行は顧客が万一破産・倒産した時に、確実に回収できる資産として土地を選びました。
日本の土地は、1945年から1991年まで、どんどん価格上昇していきました。
土地価格の上昇率は、金利を超えていました。
だから、土地を担保にしていれば、貸した相手が倒産しても、
銀行は必ず利子も含めて回収できました。
土地を担保にお金を借りた人は、そのお金で事業を開始します。
最初は、皆が貧しかったので、物不足でした。
土地だけがそこに在ったわけです。
当時は、何を作っても売れました。
大量に作れば、全部売れて、ただそれだけで儲かりました。
その内に土地の価格が上昇したので、上昇した分だけまた、銀行から借りることができました。
借りたお金でまた何か事業を開始します。
日本では、人口爆発=ベビーブームが戦後すぐ(1947年から1949年まで)にあり、
大量の子供が生まれました。
現在の団塊の世代と言われる世代です。
彼らが中学校を卒業したころは、金の卵ともてはやされ、
地方から、集団就職といって、東京、大阪の大都市に来て働きました。
間もなく、大人になり、結婚して、一気に住宅不足=土地不足になりました。
こんな感じで、都会の土地の値段は、驚異的速度でグングンと上がりました。
アメリカでもベビーブーマー世代(1946年から1959年までに誕生した人)と言われて
同様の現象がありました。
戦争が終わると、どこの国でも子供がたくさん生まれます。
朝鮮戦争後の韓国、ベトナム戦争後のベトナムなどがその例です。
儲かったので、品質を向上させる余裕もできました。
そして、品質改善の科学的手法
(といっても大半の会社で実行したことは中学生レベルです)をアメリカから学び、
それに日本的味付けをして、品質改善運動にしました。
これは、1985年ころから「カイゼン」という言葉で、
アメリカと世界へ逆に考え方を輸出しました。
日本の工業製品は、品質の改善が進み、
デザインや統一された操作性は今ひとつですが、
丈夫で壊れない安い物になりました。
これは、世界中の人に大歓迎されて、またとても儲かりました。
日本は、自動車のように、操作方法がいつも同じで新しく考える必要のない物なら、
安く丈夫に作ることが得意です。
また、日本は、材料や部品など、操作性やデザインが関係しないものなら、
特に得意です。
ということで、また製品が世界中に売れに売れて、
結婚した若者も家を25年とか35年返済のローンで買うことが出来ました。
ですから、家と土地の値段がさらに上がりました。
貿易が伸びても銀行は相変わらず、土地を担保にお金を貸していました。
貸し方を変えなくともそれだけで儲かったからです。
政府は、戦後間もなく、長距離鉄道のため、JRの前身、日本国有鉄道を発足(1949年)させました。
バブル期までの鉄道の新規路線は、東京、大阪、名古屋などの大都市の地下鉄網です。
長距離鉄道の新規路線は、例外的に、
東海道新幹線(1964年開業)と山陽新幹線(1975年開業)、東北上越新幹線(1982年開業)です。
日本国有鉄道は経営が破綻(1987年)して、民間会社のJR各社になりました。
政府は、鉄道だけでは不足なので、道路もどんどん作りました。
高速道路ができたのもこの時代からです。
最初は、「高速道路は建設代金を回収したら無料にする」と
約束していた政府と自由民主党ですが、その約束はまだ守られていません。
日本国憲法になってからの政府が、約束を守らないのは、
皆さんのひいおじいちゃんからの伝統です。
もっとも、大日本帝国憲法の下でも必勝といって戦争を闘い、
負けたので、ひいひいおじいちゃんからの伝統かもしれません。(脱線でした)
といっても、30年も先のことを約束させても、
それを果たさせることは、とても難しいことです。
私達の親もせいぜい25年ローンとか35年ローンの約束を
なんとか果たしているにすぎません。
だから、選挙で政治家が入れ替わる政府では、
長い約束は禁物です。
できるだけ政府は、単年度決算で済むように、
大規模公共土木建築もせいぜい数年で完成するようにしないといけません。
とにかく、最初は、治山治水という災害防止の建設工事から始まり、
地下鉄、新幹線、舗装道路、バイパス道路、高速道路、港、空港と
公共の交通網がどんどん出来ていた時代です。
都会から地下鉄網と道路網ができたので、
さらに便利になり、都会から土地の値段が上がりました。
1945年から40年を経過した、1985年ころから、
さすがに戦争直後に建てた建物が古くなり、建て替えが始まりました、
地上げ屋という言葉と土地転がしという言葉が生まれ、
土地の価格が急速に上昇してきます、バブル期です。
バブル期に銀行は相変わらずではなく今度は積極的に、
土地を担保にお金を貸していました。
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ここから、少し、知恵を絞って、土地転がしを考えましょう。
T銀行とAさんとBさんがいます。Aさんの100万円の土地Gがあります。
(AさんにもBさんにも土地Gと同じだけの土地が別にあるのでお金を借りられます)
始め
T銀行
Aさん 土地Gと他の土地(担保用)
Bさん 他の土地(担保用)
Bさんは、100万円をT銀行から借りて、Aさんの100万円の土地Gを買いました。
土地Gは、120万円になりました。
Aさんは、120万円をT銀行から借りて、Bさんの土地Gを買い戻しました。
Bさんは、120万円手に入ったので、100万円と利息10万円を銀行に返して、手元に10万円残りました。
Aさんの土地Gは、140万円になりました。
Aさんは、140万円手に入ったので、120万円と利息12万円を銀行に返して、手元に8万円残りました。
Bさんの土地Gは、160万円になりました。
Aさんは、160万円をT銀行から借りて、Bさんの160万円の土地Gを買い戻しました。
Bさんは、160万円手に入ったので、140万円と利息14万円を銀行に返して、手元に6万円残りました。
Aさんの土地Gは、180万円になりました。
Bさんは、160万円手に入ったので、140万円と利息14万円を銀行に返して、手元に6万円残りました。
Aさんの土地Gは、180万円になりました。
Bさんは、180万円をT銀行から借りて、Aさんの180万円の土地Gを買いました。
Aさんは、180万円手に入ったので、160万円と利息16万円を銀行に返して、手元に4万円残りました。
Bさんの土地Gは、200万円になりました。
Aさんは、180万円手に入ったので、160万円と利息16万円を銀行に返して、手元に4万円残りました。
Bさんの土地Gは、200万円になりました。
Aさんは、200万円をT銀行から借りて、Bさんの200万円の土地Gを買い戻しました。
Bさんは、200万円手に入ったので、180万円と利息18万円を銀行に返して、手元に2万円残りました。
Aさんの土地Gは、220万円になりました。
Bさんは、200万円手に入ったので、180万円と利息18万円を銀行に返して、手元に2万円残りました。
Aさんの土地Gは、220万円になりました。
Bさんは、220万円をT銀行から借りて、Aさんの220万円の土地Gを買いました。
Aさんは、220万円手に入ったので、200万円と利息20万円を銀行に返して、手元に0万円残りました。
Aさんは、手元の生活費がなくなったので、もう土地を買いません。
Bさんの土地Gは、だれも買いませんから、値下がりします。
Bさんには、借金220万円と利息支払いが残りますが支払えないので、
担保の土地(G以外)を銀行に取られ、さらに資産として土地Gも取られます。
もしなければ破産します。
銀行は、担保として、土地Gを手に入れました。
結果
T銀行 利息 10+12+14+16+18+20 = 90万円 の儲けと、もともと100万円の土地Gを得た。
Aさん 8万円+4万円を得たが、土地Gはすでに売却していた。
Bさん 土地G以外と土地Gを失う、多分、他の財産も失うか破産した。
Aさんは、220万円手に入ったので、200万円と利息20万円を銀行に返して、手元に0万円残りました。
Aさんは、手元の生活費がなくなったので、もう土地を買いません。
Bさんの土地Gは、だれも買いませんから、値下がりします。
Bさんには、借金220万円と利息支払いが残りますが支払えないので、
担保の土地(G以外)を銀行に取られ、さらに資産として土地Gも取られます。
もしなければ破産します。
銀行は、担保として、土地Gを手に入れました。
結果
T銀行 利息 10+12+14+16+18+20 = 90万円 の儲けと、もともと100万円の土地Gを得た。
Aさん 8万円+4万円を得たが、土地Gはすでに売却していた。
Bさん 土地G以外と土地Gを失う、多分、他の財産も失うか破産した。
一番儲かったのは、胴元の銀行です。
二番目は、Aさんでギャンブルに勝ちましたが、銀行ほど儲かっていません。
B三は、破産です。
考察
二番目は、Aさんでギャンブルに勝ちましたが、銀行ほど儲かっていません。
B三は、破産です。
考察
これがバブル崩壊の具体的様子です。
このような結果になったのは、土地の値段の上がり調子が一定で少ないからですが、
それでも、100万円の土地が220万円になった、
土地の上昇が加速度的に上がれば、バブルももっと持続しますが、、、。
さてさて、そんなことになったら、物価もどんどん上がりますね。
これは、単なる計算ですが、1945年から1991年までも似たり寄ったりだったのです。
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物価上昇率の変化
1945年10月から1949年4月までの3年6か月 消費者物価指数は約100倍 混乱期
敗戦後のインフレは年率59%であった
1950年前後の消費者物価上昇率は約15%
(名目経済成長率は30-40%に達し、15%くらいの実質経済成長)
1954年からは高度経済成長 消費者物価上昇率4-8%
1973年から1974年狂乱物価(上昇率20-24%)オイルショック二回目
1975年から1978年(上昇率12-9%)
1979年(上昇率5%)
1980年から1981年(上昇率6-9%)オイルショック二回目
1982年から1991年(上昇率0-3%)
まとめ
1945年から1991年までは、
土地を担保にお金を貸出していれば、
銀行が一番儲かり、市民も企業も儲かった時代。
理由は、敗戦で日本には何も無かったが若い人だけはいた。
土地の値段が銀行利息よりどんどん上がった。
勤勉に働き、その製品が丈夫で安くできたから、世界中で売れた。
売れたから、儲けがあり、また値段が上がった。
最後に、土地転がしで経済が崩壊した。
倒産と借金の山だったが、賢い銀行はさほどダメージは無かった。
農協金融は大損したが、政府が借金を肩代わりして、
都市住民と未来世代へツケ回しとした。
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