Dec 23, 2014

日本の領土問題まとめ

[一般論]

領土問題というものは、当事者国間の争いであり、
歴史を振り返れば、もつれにもつれたものである。

争う国と国が、歴史の事実認識を共通にすることは、立場の違いから、不可能である。

だからこそ、主張する正義を主張し続け、守るべき実効支配を守りぬくしか道はない。

正義を主張せず国土を守らずでは、侵略され奪われるだけである。

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[現状]

現在の日本の領土問題は、ロシアに占領されている北方四島、韓国に占領されている竹島。

日本政府が尖閣諸島の実効支配をしているから、日本政府は尖閣諸島の領土問題は無いとしている。

だが、中国と台湾が、尖閣諸島の領有権を1971年から主張しており、特に中国の公船・海警や漁民が日常的に尖閣諸島の領海無いへの侵入を繰り返し挑発行動を常態化している。

領海問題として、日中中間線の問題があり、ここには中国だけでなく、韓国(済州島の南海区域)も関係してくる。

中国とは、日中中間線上の東シナ海ガス田問題がある。

領空問題として、最近では、中国の一方的な東シナ海での防空識別圏設定も難題となっている。

残念ながら、ロシア、韓国は、日本の領土を侵略しており、北朝鮮、中国は、日本の領土を侵略しようとしていると考えざるをえない。

韓国、北朝鮮、中国は自国民に日本国及び日本人を敵視するように教育しているとも聞く。

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[日本の領土問題施策]

独立国・日本として、北方四島と竹島の返還を主張し交渉しつづけること、及び、尖閣諸島を始めとする領土・領海・領空の防衛を確かなものにすることが当然のことである。

文化・通商・経済協力では友好関係を維持発展させる努力を一層進めることと並行して、平和を願う国・日本国としては、平和的外交手段で領土問題を交渉し、他国領土・領海・領空を武力攻撃すること無く、自国領土・領海・領空への侵入者を排除し、国土を全力で守りぬくだけである。

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[国防への展開]

また、日本は海洋で囲まれた島国であるから、人々が行き交い、資源を輸入し製品を販売する貿易のための海運航路と航空路が生命線である。これらの防衛も領土問題の一部である。

敵対国の脅威を防ぐには、友好国と連携しなければならないのは自明である。

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1855年-1970年の北方四島、竹島、尖閣諸島の歴史年表

平和的に得た領土が、戦争に負けることで理不尽にも侵略される様子が見て取れる。

1855年         日露和親条約(北方四島の日本領土へ編入が平和的に確定)
1872年-1879年  琉球処分の施策(琉球王国を日本へ編入し沖縄県とする)
1885年 9月22日 日本の沖縄県は、尖閣諸島を調査し、無主の地であることを確認
1894年 8月 1日 日清戦争勃発
1895年 1月14日 日本は、尖閣諸島を日本領土への編入という閣議決定
1895年 4月17日 日清戦争の講和条約である下関条約が締結
 (尖閣諸島へ日本人が入植、鰹節工場など最盛期には99戸、248人)
1904年 2月 8日 日露戦争勃発
1905年 1月     無主地の竹島は、閣議決定で島根県隠岐島司の所管となる
1905年 9月 5日 日露戦争終結(ポーツマス条約により講和)
1910年 8月29日 韓国併合(大日本帝国が大韓帝国[1]を併合)
1912年 1月 1日 中華民国(孫文 臨時大総統)が成立
1940年         尖閣諸島の鰹節工場は閉鎖され無人島になる
1942年 1月 1日 連合国共同宣言
 (中華民国 • ソビエト連邦  • イギリス • アメリカ合衆国、計26カ国(一部は亡命政府)で宣言、その後47カ国までに膨らむ)
 (ドイツ、日本、イタリアと各国が単独で休戦または講和をしないこと等)
1943年12月1日 カイロ宣言
 (フランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石中国国民政府主席による首脳会談)
 (戦後日本が台湾などを中華民国へ返還するなど連合国の対日方針などが定められた)
1945年2月4日~11日 ヤルタ会談
 (クリミア半島のヤルタ)
 (アメリカ合衆国トルーマン大統領、イギリス チャーチル首相、ソビエト連邦共産党書記長 スターリンの首脳会談)
 (ヤルタ秘密協定:アメリカとソ連の間、ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦および千島列島、樺太などの日本領土の処遇)
1945年5月8日 ナチス・ドイツ降伏
1945年 7月17日- 8月2日 ポツダム会談(ベルリン郊外のポツダム)
  (アメリカ合衆国トルーマン大統領、イギリス チャーチル首相、ソビエト連邦共産党書記長 スターリンが集まり、
   第二次世界大戦の戦後処理について会談)
1945年(昭和20年)7月26日 ポツダム宣言
 (アメリカ合衆国トルーマン大統領、イギリス チャーチル首相、中華民国 蒋介石国民政府主席(無線で承認)、
  ソビエト連邦は後から加わり追認)
1945年 8月08日 ソビエト社会主義共和国連邦(現在のロシア)対日宣戦布告、ポツダム宣言への参加を表明
1945年 8月14日 日本政府はポツダム宣言を受諾を連合国側に通告
1945年 9月 2日 日本は降伏文書(休戦協定)に調印
  (日本政府&大本営(日本軍)、連合国軍最高司令官、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト、中華民国、他)
1945年 9月 3日まで ソビエトは歯舞諸島に至る全千島を占領
1945年 9月 9日 朝鮮総督府の降伏(韓国併合の終了)
1945年11月26日 米国海軍軍政府布告第1-A号(琉球列島と尖閣諸島はアメリカ軍による軍政下に入る)
1946年 1月29日 連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号が出された
 (欝陵島・竹島・済州島、北緯30度以南の琉球列島、伊豆以下南洋諸島、千島列島・歯舞・色丹)での日本政府の行政権停止訓令)
1946年 2月 2日 ソビエトは全千島を自国領土への編入宣言
1946年 6月     国共内戦(国民政府軍vs共産党軍)を再開
1947年 5月 3日 日本国憲法を施行
1949年 1月 7日 韓国の李承晩政権は対馬領有を宣言
1949年10月 1日 共産党が北京、南京、上海などの主要都市を占領し、中華人民共和国が成立
1949年12月     蒋介石の中華民国政府は台湾へ撤退
1950年 6月25日 朝鮮戦争 勃発
1951年 8月15日 中華人民共和国の周恩来外相が、サンフランシスコ講和条約に自国が招請されないことを批判する声明を発表
1951年 9月 8日 サンフランシスコ講和条約調印
 (内戦中の中華民国と中華人民共和国の招請は見送り)
 (ソビエト、ポーランド、チェコスロバキアは、中華人民共和国の不参加を理由に会議の無効を訴え署名しなかった)
1951年 9月 8日 日米安全保障条約も署名
1952年 1月18日 大韓民国 李承晩大統領が、李承晩ラインを設定し、竹島は自国の支配下にあると宣言
 (1965年までに、日本人44人を死傷(うち5人が死亡)させ、3,929人を抑留)
1952年 4月28日 サンフランシスコ講和条約発効
1952年 7月26日 日本政府は竹島をアメリカ軍の訓練地として日本国が提供することを約する協定を締結
1953年 2月 4日 第一大邦丸事件が発生、李承晩ライン内で船長が韓国軍から銃撃を受け死亡
1953年 4月20日 韓国軍独島義勇守備隊が竹島を占領
1965年         日韓基本条約締結
1968年         尖閣諸島の海底調査(石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘)
1971年         中国、台湾が尖閣諸島の領有権を主張しはじめた
1972年9月25日  日中共同声明、中華民国に断交を通告
1975年 4月 5日 蒋介石が死去

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