Sep 23, 2017

かつて(1951-1971)中国は国連の敵国(侵略者)と認定された事実

歴史が示すように、北朝鮮は、好戦的で怪しげな共産主義を標榜する金一族による独裁の軍国主義をとる全体主義国である。

北朝鮮(当時国連に非加盟)は、ソ連(当時から国連の常任理事国、現在のロシア)と中国(中華人民共和国、当時国連に非加盟)の支援を秘密裡に取り付けてから、韓国(当時国連に非加盟)へ一方的に奇襲攻撃をとって国際法に違反して宣戦布告せずに侵略を開始した(朝鮮戦争: 1950年6月25日 - 1953年7月27日(休戦中))。ソ連は、武器を供与し軍事訓練をし空軍が戦闘に参加している、中国は中国人民志願軍として実際に兵員と武器を出して戦闘に参加(1950年10月19日から参戦、最前線だけで20万人規模、後方待機も含めると100万人規模の大部隊)している。中国は朝鮮戦争を抗美援朝戦争と呼ぶ。

国際連合安全保障理事会決議82(1950年6月27日 賛成9:反対0:棄権1=ソ連)により、北朝鮮は侵略者と認定されている。国際連合安全保障理事会決議83(1950年6月27日)。 国際連合安全保障理事会決議84(1950年7月7日)。  国連総会決議で「全朝鮮に統一され、独立した民主政府を樹立する 賛成47票、反対5票」(1950年10月7日)。国連総会は、中華人民共和国を侵略者とする決議(第498号(v) Intervention of the Central People's Government of the People's Republic of China in Korea)を採択した(1951年2月1日)。

アメリカ合衆国は、韓国の集団的自衛権の発動のため国連軍として参戦して来た。

休戦協定(正式名称:greement between the Commander-in-Chief, United Nations Command, on the one hand, and the Supreme Commander of the Korean People's Army and the Commander of the Chinese People's volunteers, on the other hand, concerning a military armistice in Korea 国連軍司令官を一方とし、朝鮮人民軍最高司令官及び中国人民志願軍司令官をもう一方とする朝鮮における軍事休戦協定 )に署名(1953年7月27日 朝鮮人民軍代表兼中国人民志願軍代表南日と国連軍代表ウィリアム・K・ハリソン・Jrにより署名、国連軍総司令官マーク・W・クラーク大将により正式署名された後、金日成と彭徳懐のもとに送付され、その署名を経てすべての手続きは完了)。休戦協定には、外国軍撤退問題の会談の開催義務を含んだ。

スイス国でのジュネーヴ会議(1954年4月26日)で外国軍撤退問題を議論したが決裂した。
(「アメリカ軍が韓国から撤退しないから北朝鮮が核兵器とミサイル開発をする」という人が時々いるが、ジュネーヴ会議が決裂した以上、国連軍=アメリカ軍が韓国から撤退する義務はないのではないか)

「休戦協定第13節(d)軍拡禁止」のアメリカによる廃棄表明(1957年6月21日) 。この当時アメリカは北朝鮮が先に第13節(d)に違反していると考えた模様。

北朝鮮の休戦協定脱退表明(1994年、1996年、2003年、2006年、2009年、2013年)
(北朝鮮は、1994年、1996年、2003年、2006年、2009年、2013年の少なくとも6回にわたり、もはや休戦協定に束縛されないと表明している)

中国(中華人民共和国)が国連に加盟できたのは、1971年10月25日、国際連合総会でアルバニアという小国から中華人民共和国を中国の唯一の正統な政府とし、「蒋介石の代表(中華民国:台湾)」を追放するとした2758号決議(Restoration of the lawful rights of the People's Republic of China in the United Nations)が提案されこれが採択されたため。ソ連(今のロシア)は中国側であった。このとき、西側の常任理事国であるイギリス、フランス、さらに、大国、イタリア、カナダ、メキシコ、トルコ、が台湾を切り捨て中国側に回った。国際政治というのは、このようにその時そのときの利害で意見が変わる国が普通である。これにより、中華民国(台湾)は国連安保理常任理事国の座を失い、中華人民共和国が国連安保理常任理事国と見なされた。ただし、国連憲章の記載は未だに、中華民国が国連安保理常任理事国であるため、同じく記載されてるソビエト連邦の地位を継承したロシア連邦の例と同様に中華民国がもつ安保理常任理事国の権限を中華人民共和国が継承したと解釈されている。本決議に抗議する形で、中華民国は国連を脱退した。アルバニアはこの翌年に中国(中華人民共和国)からの経済援助を打ち切られ世界の最貧国に転落したままである。共産主義の中国には恩義が通用しないのである。

中国が国連に加盟できた1971年10月25日にて、中華人民共和国を侵略者とする決議(第498号(v) Intervention of the Central People's Government of the People's Republic of China in Korea)は実質的な効果を失い、国連は中国に支配権(拒否権)を奪われたと解釈できるだろう。

西側(=自由主義側)にいたはずの蒋介石、李承晩という二人のアジア人が残した負債は、彼らの死後も共産主義(中国、北朝鮮)の台頭を許し、いまだに世界を苦しめていると言える。

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