記事には疑問点が多いと感じる、自分なりの疑問と提案を以下に書く。
記事はまず最初に、極端に悲惨な貧困例として東京の裁判の件を持ち出して、読者の関心をひこうとしている。だが、函館での逮捕の例は本当に貧困なのだろうか犯罪の例に過ぎないかもしれない。
記事では「世界第3位の経済大国ながら貧困率は16・1%」と言うが、国の経済規模の大きさと貧困率は直接関係がないだろう。
記事では「「持つ者」と「持たざる者」の差はますます広がっている」と言うが、それを言うなら、より正確に「裕福になる努力をする者はますます裕福になるが、裕福になる努力をしない者はそのままである」と言うべきであると私は考える。
記事は、終身雇用や年功序列を賛美しているが、私は反対だ。終身雇用や年功序列は、老人が少なく若者が多いピラミッド型の人口構成で外国人の出入りが制限されている発展途上国、50年前の終戦後の日本、でうまくいくシステムであるが、人口構成の形が釣り鐘型の先進国やや逆三角形型の現代日本では弊害が多すぎる。企業から見て終身雇用や年功序列の弊害は、高齢者が多く総賃金が多すぎて市場競争に負けるから海外に工場を移転したい。高い賃金の高齢者は雇いたくない。優秀な若者でも低賃金でしか雇えなので応募してもらえない。労働者から見て終身雇用や年功序列の弊害は、自分には実力も実績もあるのに、働かない同僚と同じ賃金では懸命に働く気がしない。転職しようにも中途採用はどこもしていない。長時間・長期間一つの企業での画一的労働に縛られ保育園の迎えにも行けない。現代日本社会の観点で見て終身雇用や年功序列の弊害とは、身分・職業の固定化、賃金の固定化であり若者の貧困の元凶でもある。
公正な自由競争の原則で考えれば、(1)同一労働同一賃金の原則、(2)企業側には、人数に対する一定割合での解雇権、(3)労働時間の自由化と競合しない副業の許可などが、企業と労働者双方が合意できることだと思うし、このように労働契約にしないと明朗な公正さを求める海外の人々と一緒に働くこともできないだろう。
記事の「格差の克服に社会全体で取り組まなくてはならない。」という説は、全体主義の匂いがする。貧困から脱したいなら、個人はそれなりの努力をしないといけない。社会全体で取り組むことを主張されるなら、例えば、北海道新聞もまた、特権である消費税減免2%分を慈善事業に寄付していただきたいものだ。
記事では「バブル崩壊後、長引く不況」と書いているが、バブル崩壊後から景気回復の波は何度も来ていることは株価の変動を見れば明らかである。それとも、北海道新聞はバブルの再来、土地ころがしなど、を願っているのだろうか、もちろんそんなはずはない。北海道新聞には、思考停止でいつもの決まり文句を書く手法をもうやめてもらいたいものだ。
「コスト削減のため非正規雇用者を増やしている」は、市場競争をする企業なら当然の行為である。品質を維持してコスト削減、コストを維持して品質を向上などは、それぞれの企業の方針であり、部外者が口を挟むことではない。労働者なら、実力向上で、短時間労働とするか、長時間働いてもっと稼ぎを多くするかだけである。
記事では「富裕層に有利な税制にシフト」とあるが、どこにそんな事実があるのだろうか、株の売却益の課税は、10%から20%に倍増して財産課税を増やしたり、相続税を増税したり、脱税防止マイナンバーを導入して捕捉率を上げたりしている。消費税は、だれにも平等に賦課される税であるから富裕層に有利ではないのだ。元々低所得者の所得税の税率が極端に低いため所得税の実効税率が低すぎること、農業などの自営業者の所得税の捕捉率が悪く、国家財政赤字の大きな原因であることが問題なのだ。
記事では「安倍晋三政権は「富める者が富めば、富は下に滴り落ちる」というトリクルダウンの論理を説いてきた。」と言うが、ロイターの記事では「安倍晋三首相は2015年1月28日午後の参議院本会議で、安倍政権として目指すのはトリクルダウンではなく、経済の好循環の実現であり、地方経済の底上げだと述べた。」とされている。北海道新聞は完全に間違っているのではないか。
記事では「親の貧困が子供の進学などを制約し、子供まで貧困に陥る」とあるが、これは頷ける。しかし、これは当たり前のことである。その子を育てる義務がある者は、その子を生んだ親であるから、貧困な親は、子を裕福な環境で育てられるはずがない事は道理である。どんな親でも、我が子の幸せを願うなら、軽はずみに子供を産んではいけないのだ。現代日本では、大人は十分な財産と教育環境を整備してから子を妊娠することが望ましい。貧困な人が立派に子を育てたよい親になろうとするなら、裕福な人がお金で解決する部分を、時間と努力で解決しないといけない。小学校、中学校の勉強の復習は、親自身が面倒を見るほうがいいと思う。
記事では「社会を分断しかねない」とあるが、現代の日本社会はすでに分断されて多様性に溢れている。日本では、全体が一体になった全体主義の時代は、1945年に終わっているのだ。
記事では「企業が果たしてきた社会保障の役割」とあるが、私は(経済的にも政治権力的にも)自由主義者なので、企業に社会保障の役割を義務つける必要は無いと考える。企業の社員への福祉が企業の市場競争にとって有利であれば採用すればいいだけである。
記事では「企業には雇用安定への努力」とあるが、現在の日本企業の古い労働契約では従業員を解雇することができない、これが、社員を雇わないで人材派遣や業務委託に頼る第一の理由である。すでに上で書いた三つの労働改革案を見てもらいたい。
記事では「国や市町村も財政支出を厭うべきではない」とあるが、この財政赤字の状況でなぜできもしないことを言うのだろうか。北海道新聞なら、財政破綻した夕張市のことを知らないはずがあるまいにと思うが。
私は、国や市町村の貧困に対する福祉、例えば生活保護、は十分すぎると思う。財政赤字なら福祉全般を削減するべきとも思うのだ。
記事は貧困問題を企業と国と市町村が解決する事としているようであるが、私は、第一に貧困問題と向き合うべき人は、貧困である自分自身であると思う。貧困から脱出するには正しい知恵を働かせ努力し続けることしかない。
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