このカリブ海の共産主義国はなぜアメリカと国交回復するのだろうか。
自由を認めない閉鎖的な共産主義では、経済的衰退を止めることができず、国民の生活が維持できないからと推測する。
暖かく食べ物が豊富な自然でも、石油が取れない土地、科学は未熟で便利な機械や新しい機械、新しい医薬品を発明することも作ることもできない。便利な生活をするためには、貿易をするしかない。貿易をすると、国民が外国の豊かな物資を知ってしまうから、国民に自由を与えて国を開かざるを得ない。
キューバを楽園という日本人がいるが、日本人観光客にとって楽園であったにすぎない。そこで生活している国民の何割かにとっては、決して楽園ではなく牢獄だったことも事実なのだろう。
歴史概要
1959年 フィデル・カストロがキューバ革命
1961年 アメリカと国交断絶
1962年 キューバ危機(ソ連の核ミサイルがキューバに配置されそうになったが中止)
1993年 ドル所有の合法化(信仰の自由も認め、格差が拡大し始める)
1997年 国内4ヶ所に自由貿易地帯を創設
1999年 アメリカがキューバ経済制裁の一部緩和開始
2001年 2001年にはカリブ海沿岸国と自由貿易協定を締結
2001年 アメリカからへの食糧購入開始
2008年 フィデル・カストロが、国家評議会議長引退、弟のラウル・カストロが継承
2008年 一般国民が、携帯電話所持やホテル宿泊、家電製品購入などができるように
2011年 部分的に市場経済が導入
2011年 労働者用の無料食堂は全て閉鎖、食料配給の段階的廃止、土地所有と売買を認める、自動車売買許可、公務員の50万人の解雇
2015年 アメリカと国交回復
自由は制限されていたキューバの国の標語が、Patriay Libertad (スペイン語:祖国と自由)であるという皮肉。
参考
「楽園」キューバは変わる?スーパーにジュースが3種類しかないガチ共産国はこれからどうなるのか? より
何人ものキューバ人と話しをしていたら、2008年のキューバを「楽園」と思っている人が半分、「牢獄」と思っている人が半分でした。
「どんなに頑張っても、俺たちはこの貧しい生活から脱することが出来ない。俺の夢は亡命して他の国に行くことだ」と愚痴をこぼすキューバ人に何人も出会ってきました。陽気な音楽と古き良き空気に包まれた「楽園」は、もがいてももがいても何も変化を起こせない「牢獄」でもあるのです。
ニューヨークヤンキースに行けば年俸10億円稼げるような野球選手が、国家公務員として月給数万円で野球をしている様な国は、「何かをやりたい」と思っている人にとっては地獄です。
そんな人にとってアメリカとの国交回復は、天からおりてきた蜘蛛の糸でしょう。
ただ、毎日適当に働いて、夜な夜な歌と踊りを楽しみ、ときどき知り合いの車でピクニックに行ければ幸せという人たちの生活は大きく変わっていくかもしれません。キューバでメンタルヘルスとか過労死とかいう言葉が生まれたら悲しいです。
日本が目指してほしいこと
キューバと日本を比較してみて感じたことをまとめると、
- 適当に働く大多数が、少数の頑張る人、リーダー、スターを称える文化
- リーダー、スターになれなかった人を暖かく包む文化
- 国民の大多数が、適当に働きさえすれば、結婚して一人か二人の子供を育てられて、75歳から基礎年金だけをもらって90歳までの天寿を全うできること
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