Nov 21, 2015

ほとんどのイスラム教徒も平和を好む

ほとんどのイスラム教徒が、私と同様に平和を好むことは事実です。


#NotInMyName: Muslims condemn attacks in Paris
イスラム教徒がパリ同時テロを非難 ツイッターにハッシュタグ
国内のイスラム教徒、パリ同時テロを非難
イスラム教徒 SNSでテロを非難

どのようにすれば平和を実現できるのか、考えてみました。

歴史ある宗教は、その教えに優れたところもあれば、時代遅れになってしまったところもあります。

特に迫害を受けた時の暴力の承認、他人から見て奇妙な習慣、あるいは女性差別のような排他的な行為は、どの宗教も昔から内包しています。

古い教えの中で女性差別が指摘されるイスラムでも、女性がひどく差別されているわけではという具体例があります。イスラム教徒が88%近いインドネシアは、2001年から2005年まで女性のメガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリさんが大統領を務めていました。

最後の預言者が暮らした砂漠の環境とは異なり、インドネシアの熱帯の自然の中では、発想も新しくなっているようです。

昔にはできなかった魔法のようなこと、武器、交通、通信、燃料、生産、衛生などが、今ではできるようになっています。

乾燥して高温であり水と食料が常に不足し生命の危機を感じる砂漠を想像してください。他者を押しのけても生き残りたいという生存本能が強く表に出てきます。しかし、本能を理性で制御することを教えるものが、宗教の戒律です。戒律を守ることは、強烈な本能を抑えることですからやはり難しいことです。

するべきことは、
  • お金持ちは、金銭の欲望を抑えて貧しい人にお金を配る。
  • 権力の在る者は、権力のない大衆のために、より多くの人の役に立つ政治をする。
  • 武器を持つものは武器で破壊と殺戮をするのではなく、武器の威厳で平和を保つ。
です。

人間は誰でも、すべての宗教に共通する戒律
  • 殺さない
  • 盗まない
  • 犯さない
  • 嘘をつかない
  • 二枚舌を使わない
  • 隣人を許し愛する寛容さ
を守らなければなりません。

それには、
  • 相手の立場を理解して尊重する
  • 信用を守る
  • 秘密を守る
ことです。

自分の家の問題は自分の家で解決しなければいけません。

もし、相手の土地、外国で暮らすのならその国の文化・習慣・法律に従う必要があります。それができないなら、そもそも自分の土地から出てはいけないのです。

難民となって国を出るからには、流れ着いた外国の流儀に従いましょう。裕福になりたいならニコニコして勤勉に努力するしかありません。助けてくれた保護国の国の人を殺すテロはただの裏切り行為です。テロは戒律に違反するためそのまま地獄行きです。

一方で、他人の家の問題に、手を下すことは問題を拡大するだけの愚かな行為です。忠告にとどめておくだけが賢明です。

キリスト教徒の多い国のごく一部の人が、イスラムの優れた点、偶像崇拝の排除、を認めずこれを揶揄しイスラムの怒りを買うような行為は、本当に愚かです。少数者を貶すことで多数派に自分の新聞を買ってもらえるという欲に取りつかれた愚か者の行為です。言論の自由とは関係のないバカな行為です。この愚か者を守るデモをした為政者もまた愚かだったのです。

自由を信奉する者であれば、自由には責任が伴うことを自覚しないといけません。自らの愚かな発言が相手を傷つけ報復を受けてもそれは当然です。その報復が自分ではなく、自分の家族や友人にされることをなぜ想像できないのでしょうか。いいえ、その程度のことは想像できていたはずです。想像していて、さらに自分の新聞が売れると陰でほくそえんでいたに違いありません。賢い私たちは、そのような愚かで汚らわしい新聞を買ってはいけないのです。

テロを受けた異教徒の国の人が、報復としてイスラムの人々の土地を空爆で破壊することは、テロを受けた国民の怒りを鎮める目的とは思いますが、国民が信じる宗教の戒律、殺すな、に反しますし、合理的に考えれば、これは終わりのない暴力の連鎖となり、武器商人の利益になるだけです。報復攻撃は、偽りの正義に過ぎないのです。

かつての植民地時代に得た利権の維持のためにイスラムの人々の土地に介入したり、武器を渡したりする策謀は、結局のところ戒律、盗むなや二枚舌に反する愚かな行為です。

報復行為や威嚇行為は、合理的に考えると問題の解決を遅らせて泥沼化させてしまい、自らをも危機に陥れることを意味します。戒律だから違反してはいけないのではなく、合理的に考えて罪のない国民の大部分が損をして、一部の悪徳者が利益を貪るからこそ、戒律に違反してはいけないのです。

武器そのものに罪はありません。武器を使う人間が罪深いのであり、武器を売る者もまた、罪深いことを自覚しないといけません。

何百年も前とは異なり、世界は狭くなり、人間は種族、言語、宗教の多様性を意識しながら生きていかなければなりません。

しかし、力を持つ人は、力に頼ってしまうという事実もあります。

その人の立場で、力は、政治力、軍事力、支援をする財力、ペンの言論力、暴力と様々です。

自分の身を守るために、あるいは家族を守るために、または、組織や国民を守るために、力を持つ者は、偽りの正義、怒りの表現として力の行使を期待され、発揮せざるを得ない立場に追い込まれています。

このように戒律を守ることは、実は自分の怒りや悲しみといった生存本能を乗り越える必要があるため、とても困難で厳しいことです。

まず最初に、簡単にできること、それは相手にとって冷たいように感じるかもしれませんが、そこから始めましょう。

平和を維持するためには、意見が異なる人々が、互いの領地を自分たちで守り暮らすことです。相手の領地に踏み込んだり干渉することは、慎まなければいけません。求められれてもせいぜい忠告するだけにしておきましょう。