Jun 30, 2019

人間は本当に自由なのか

自由とは

自由とは、他人や規則から制約されず自らの思いだけに由来して発言したり行動したりすること。

自由を求める人間

あなたも、親や先生から顔を合わせるたびに、「遊んでいないで勉強しなさい」と、強制されれば嫌なはずだ。

「反論するな黙って従え」と、言われれば嫌なはずだ。

「どこにも行かず、ここの部屋に居なさい」と、言われれば嫌なはずだ。

また、持ち物やお金の一部を自由に使えず取られたりすることも嫌なはずだ。

人間は誰でも、他人の指図を受けず自分の意志で自由に話をし行動したいものだ。

肉体の制約

人間は、どんなに願っても、肉体の限界を超えて、たとえば、超音波で話をしたりできないし、引力を振り切って空中浮遊したりできない。

万物は、数学的物理法則の虜である。

人間は、肉体に縛られた不自由な存在である。

社会的制約

人間は、身体能力の範囲であれば、自由に話をして、自由に行動できる。

自らの意志で、不愛想にして挨拶をしないことは可能だ。しかし、礼儀を守らなければ、人から警戒され邪険に扱われる。

自らの意志で、約束を破ったり嘘をついたり悪口を言うことも可能だ。しかし、道徳に反すれば、信用を失い、人が寄って来なくなる。

自らの意志で、法を犯して、殺人、強盗、レイプをすることも可能だ。しかし、逮捕され有罪になり刑務所に収監され死刑にも処せられる。

人間の言動と行動が、他人に不安を抱かせたり、危害を加えたりすれば、他人から手痛いしっぺ返しを食らい、社会から制裁される。

人間は、社会的習慣、道徳、法律に縛られた不自由な存在である。

法律と自由

共産主義に代表される社会主義とは、人間からあらゆる自由を奪い、権力者が全権を握り、社会を統制することを目的とする主義であり、歴史的に必ず独裁政治に陥る。

共産主義の聖典、共産党宣言では、手段を選ばない世界征服を宣言している。共産主義は、悪の秘密結社ショッカーのより恐ろしい思想だ。「仮面ライダーは、人間の自由のためにショッカーと戦うのだ。」仮面ライダーのような共産主義と闘う政治家が待ち望まれる。

自由主義とは、単に自由をありがたがる主義ではない、人間の自由を守り拡大することを目的とする主義である。

法律は国ごとに異なる。

隣国の中華人民共和国に代表される共産主義国の法律は、人間を共産党員とその他で差別し、国民には、政治的にも財産的にも自由がない。ショッカーの戦闘員に自由が無いように、共産党員にさえも、自由がない。共産主義国で自由がある人間はトップの権力者だけだ。

しかし、アメリカ合衆国や日本に代表される自由主義国の法律は、国民は平等で大きな自由を認めている。

日本国憲法は、言論の自由と普通選挙による政治参加の権利が保障され、最大限の政治的自由が認められている。一方で、経済的自由である財産権は認められているが、課税という不自由がかなり曖昧に規定されている。そのため、累進課税や相続税などの共産主義のような法律が実施されている。

真の自由主義者であれば、法の下の平等を優先し、累進課税や相続税に反対しなければならないことに気が付くだろう。

良い結果=幸福

人間は、社会的習慣、道徳、法律を守れば、自由に話もできるし、自由に行動できる。

どんな言動と行動なら、良い結果=幸福を得られるか。

礼儀等の社会的習慣を守ること。八正道十悪といった道徳を守ること。法律で許された範囲の言動と行動に留めることである。

世の中には、礼儀知らずや、不道徳者もいるし、犯罪者もいる。

もしあなたが、裕福になったり、美形と結婚して幸福になったときは、よくよく注意しなければいけない。

悪人へ、幸福を大げさに自慢したり見せびらかしたりすれば、妬まれ絡まれることになる。

幸福を大げさに自慢したり見せびらかしたりすることは、社会的習慣では下品なこととされているから、悪人はそこにつけ込んでくるのである。

結論

 人間は、身体能力、社会的習慣、道徳、法律の範囲であれば、自由に話をして、自由に行動できるが、その影響とその結末から逃れることはできない。

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