Jun 24, 2019

神は存在するか

「神は存在するか」改めて考えてみた

結論 

神の存在は、私にとって不明である。

論証

神の例:ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教の神、ギリシャ神話、ヒンズー教や日本神道の神々。

神という単語は存在する。
我々の言葉で、神を定義することはできる。
神の定義例:「神はこの世の創造者、天国と地獄の支配者、全知全能、悪を懲らしめる。」

この世の中に神は存在しない。もし存在すると仮定すれば、自己で自己を創造したという矛盾となる。
この世の中にいる神を、全人類に見せた人間(預言者も含めて)はいない。

この世の外を、我々は、感じることも検知することもできない。
この世の外に神がいるかどうか、この世の中にいる我々には、感じることも検知することもできない。

「神は存在する」という文(命題)は存在する。
神の定義は、自己矛盾があるため、神は我々の論理の中に存在できない。
神の定義の自己矛盾例:
「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう-エピクロス(Epicurus)」

神が存在すると仮定すると、世の外、論理の枠外に存在する。
その神は、感じることも、矛盾なく記載することもできない。
感じることも、記載することもできない物は、存在しないと言うことができる。

しかし、神の存在を信じている人々が多数いることは事実である。
彼らの考えを改めさせることは、私には不可能である。
私は彼らと敵対しても私に利益はない。
だから、私は、「神の存在は、私にとって不明である。」と言う。

神が存在するという一般人の考え1

親や先生が、「神がいる」と言っているから神はいる。

神が存在するという一般人の考え2

所有物と処分の信念


  •  自分は物を作ることができる。
  •  自分が作った物は自分の支配下にあり自由に処分できる。


親子関係の信念


  •  子供には親がいる。
  •  そのままの子供は親の言うことを聞かない自由意志を持つ悪い子である。
  •  子は親の所有物であるから、親は子を好きに教育・処遇してよい。


これらの信念から、雑な空想をしてしまう人がいる。


  • 空想1:この世にも親(神・創造主)がいる。
  • 空想2:神・創造主は、複雑なこの世を作ったから、全知全能に違いない。
  • 空想3:子が親の言うことを聞かないように、人間は自由意志で悪いこともする。
  • 空想4:親が子を懲らしめるように、神も人間を懲らしめるはずだ。
  • 空想5:神は、人間のの死後その魂を天国や地獄へ送る。


神が存在するという支配者の考え

神が存在すると宗教が成り立つ。
宗教により、民衆を支配し独裁することが容易に可能になる。
宗教がないと、独裁者は、権威を保つことができない。
宗教があれば、選ばれた人間・一族という考えが容易に可能になる。
宗教が廃れると、民主制(共和制)になってしまう。

神を否定する宗教・共産主義の歴史

純粋な共産主義(宗教・神を否定する)は、独裁者にとって辛い。
純粋な共産主義では、子供に権力を相続させられないからだ。

共産主義は、相続がないので、権力闘争が続き、変質していく。
つまり、共産主義は、永続性がない。これは歴史が証明している。
例:ソ連のスターリンの虐殺と崩壊、中国の文化大革命等の虐殺と資本主義の導入と腐敗、北朝鮮の王朝化、ベトナムの資本主義の導入、キューバの衰退とカストロの高齢化。

賢者の言葉

「宗教のことを一般人は真実とみなしており、賢者は偽りとみなしており、支配者は便利とみなしている - エドワード・ギボン(Edward Gibbon)」

「時の初めに戻るなら、無知と恐怖心が神を創ったことがわかる。幻想や熱意や虚偽が神を着飾るのである。弱さが神を崇拝させるのである。軽信が神を維持するのである。慣例、敬意、圧制は、人を盲目的に従事させることに役立つ。自然に対する無知が神を生んだのなら、自然に対する知識が神を破壊するように計算されているのだ - ポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵(Paul-Henri Thiry, baron d'Holbach)」

参考 http://labaq.com/archives/50944400.html

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