Jan 23, 2023

日本の自衛権は外国から認められているが憲法に明記されていない件

 日本の自衛権は、日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)によって、諸外国から認められているが憲法に明記されていない件


[歴史]

1945年(昭和20年)8月14日 日本 ポツダム宣言を受諾

1945年(昭和20年)8月30日 マッカーサー連合国軍最高司令官が厚木飛行場に進駐

1945年(昭和20年)9月2日 戦艦ミズーリ甲板で降伏文書(休戦協定)に調印

1946年(昭和21年)2月13日 連合国総司令部が日本側憲法改正案を拒否、GHQ草案を提示

1946年(昭和21年)11月3日 日本国憲法が公布

1947年(昭和22年)5月3日 日本国憲法が施行

1950年(昭和25年) 6月25日 朝鮮戦争勃発(金日成首相率いる北朝鮮が韓国へ侵略)

1950年(昭和25年) 6月28日 ソウルが北朝鮮軍に占領

1950年(昭和25年) 7月30日 国連軍が韓国に加勢参戦

1950年(昭和25年) 9月28日 国連軍がソウルを奪還

1950年(昭和25年)10月19日 中華人民共和国が北朝鮮に加勢参戦

1950年(昭和25年)10月20日 国連軍と韓国軍が平壌を制圧

1950年(昭和25年) 8月10日 警察予備隊(自衛隊)発足

1951年(昭和26年) 1月 4日 北朝鮮軍と中華人民共和国軍がソウルを再度奪回

1951年(昭和26年) 3月14日 国連軍がソウルを再奪回、戦況は38度線付近で膠着状態

1951年(昭和26年) 4月11日 トルーマン米国大統領がマッカーサーを解任

1951年(昭和26年) 6月23日 ソ連のヤコフ・マリク国連大使が休戦協定の締結を提案

1953年(昭和26年) 7月27日 8度線近辺の板門店で北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定

1951年(昭和26年) 9月 8日 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約) 署名(ソ連、中華民国は離脱、南北朝鮮は参加認められず)

1952年(昭和27年) 1月18日 韓国が李承晩ラインを設定し竹島を侵略開始

1952年(昭和27年) 4月28日 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約) 公布


憲法

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)を以下に要約


目標 : 国際平和と安全の維持と福祉の増進

変化 : 連合国と日本の関係が、主権を有する独立国「日本」となり対等なものへ

方策 : 友好的な連携による協力

目的 : 戦争の結果の問題の解決


[日本の義務]

 国際連合への加盟を申請

 国際連合憲章の原則を遵守

 世界人権宣言の目的を実現

 日本国内の安定と福祉の創造

 公正な国際貿易


[平和]


 戦争の終結

 日本の領土領海への主権回復


[領土の確定]


 朝鮮、台湾、千島列島、樺太、南太平洋諸島、南極、新南群島、西沙群島の放棄

 南西諸島(沖縄)、南方諸島の米国の信任統治


[安全]


 日本は国際連合憲章第2条の義務を受諾

  加盟国の主権平等

  紛争を平和的手段で解決

  日本単独で他国に武力による威嚇又は武力行使を行わない

  国連を支援

  国連の制裁対象国への制裁(おそらく武力行使含む)

  加盟国の内政に不干渉


 連合国は日本国に対して国際連合憲章第2条を指針とする

 連合国は日本の個別的・集団的自衛権と自発的軍事同盟(国際連合憲章第51条)を承認

 

 占領軍の撤退と外国軍の駐留

 

[政治および経済]


 相互主義


[請求権と財産]


 戦争被害への損害賠償と日本の生存



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