Jul 8, 2019

寛容さは重要な徳

寛容であることは道徳の徳目の一つです。

寛容になる対象は、他人の失敗や欠点です。
また、他人の容姿、性格、言動も対象でしょう。
それだけでなく、あなたが手に入れた物の不出来、欠陥や不足。
あなたが従わなければならない憲法、法律や契約の穴や矛盾。
社会の不公平な仕組み。
目立つ人(犯罪者、芸能人、権力者)の言動、行動、プライバシー、財産。

そして、自分の容姿、才能、成果、社会的地位も寛容さの対象になります。

さらに自分の心持(無知で愚か、怒り易い、根気がない、欲深い、不寛容)と言動(嘘、悪口など)も寛容さの対象になります。

問題は、「どこまで寛容であるか」ということです。

キリスト教信者ならば、マタイによる福音書のイエス・キリストの山上の垂訓の5:39節「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」を字句通りに捉えて、どこまでも寛容になるべきです。

ところで、キリスト教信者にとって、5:37節「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」とあるので、ここに書いてあることは、キリスト教信者にとって、悪から来ていることになります。でも、「しかり、しかり、否、否」しか話さないと私は他人と意思疎通できないから、勇気を奮い立たせて敢えて悪を為して話さざるを得ません。

キリスト教から離れて、「どこまで寛容であるか」を、考え直します。

数学で、1÷3が、0.333333と永遠に続くこと、円周率が3.14159...と永遠に続くことを皆さんご存知だと思います。
これを、どこまでも続けることができますが、時間ばかりかかり無駄なので、適当なところで切ってしまいます。
適当なところで切ると概数(おおよその数)となります。
手計算の時、円周率を3桁の概数3.14で計算するのは、時間を無駄にしないためです。

30cm定規を使ってペンの長さを測ってみてください。
ミリメートル単位まで測ることができます。
目の良い人は、小数点以下一桁まで、ペンの長さを測れると思います。
でも、60歳の私は、虫メガネで拡大してみないと、ミリメートル単位まで測ることができません。
ペンの長さは、小数点以下一桁までが、正しいのでしょうか。
マイクロメーターという道具を使うと、小数点以下二桁まで測れるのですが、ペンのように20cm前後の物は、長すぎて測れません。
顕微鏡で拡大して見るととても細かい物の大きさが測れますが、顕微鏡の視野を超える長い物は測れません。
反対に100m離れると、30cm定規もペンも遠すぎて小さく見えて肉眼では長さを測ることができません。
人間の目による測定では、有効桁数が3桁程度しかありません。測定精度といいます。
測定精度以下については、測定不可能を認めて誤差を認めています。

機械のねじとねじ穴のはめあいには、一定のがたつき(幅)があります。
電気の部品にも、電流や電圧の値に一定の幅を認めています。
これを許容範囲といいます。
部品を作るときどうしてもばらつきが出てきます。
出来上がってから許容範囲に入っている物を合格品として販売します。

科学や技術の世界では、測定値や大きさ、強さなど数字で表される値に許容範囲を認めています。
許容範囲に入っている物が、合格となります。

野球では、ストライクゾーンがあります。ど真ん中だけでなく枠があるのです。
サッカーやテニスもコートに枠線が引かれていて、枠線の内側だったらどこでもいいのです。

寛容であるとは、許容範囲をあらかじめ決めて置きその範囲内であれば、許すということです。

不寛容であるとは、許容範囲ない状態です。
100点満点だけを許し、その他は不合格とすることです。

日本人は、費用と手間を考えない単純な完璧主義の人が多いです。
単純な完璧主義は、不寛容です。

コメンテーターやコメント投稿者は、他人の非を一切許さない不寛容さが目立ちます。
おそらく「自分はそんな失敗をしたことがないから、あの人は許せない」という気持ちだと思います。
詳しく分析すると「そんな立場になったことがないので、その失敗をしてしまう状況を理解しはていないが、多くの人がその失敗した人を非難しているから、尻馬に乗って非難してみよう、ああっ、『あの人は許せない』と言うと何ものにも代えがたい幸福を感じる」
安全な場所から他人を非難することで、脳の快感中枢である側坐核を興奮させすぎて、中毒になっていませんか。

寛容になるにはとは、許容範囲を設定しておくことです。
でも、許容範囲は、立場立場で異なるのです。
だから難しいのです。

「他人に不寛容であるなら、自分にも不寛容であれ」これが互いに対等の立場に立つ正義ではありませんか。
だから「他人の失敗を咎めるなら、自分の不道徳な悪口を謝罪する」が正義です。

「自分に寛容なら、他人にも寛容であれ」これが互いに対等の立場に立つ正義ではありませんか。
だから、「自分もその立場になれば同じ失敗をするだろうからその時して欲しいことを、他人の失敗の時にしてあげよう」が正義です。

言葉の勉強
  
寛容とは、人や物事の特異な点、欠点や失敗をいたずらに指摘せず、広い心で受け入れる事。
「寛」は、元々「家が広い」の意味、「心が広い」の意味も加わる。
「容」は、元々「入れる」、「包む」の意味、「形」、「やすらか」「やすい」の意味も加わる。
類語 寛大、慈悲

英単語の勉強

寛容に該当する、英単語 出典 LONGMAN

bear [v] to bravely accept or deal with a painful or unpleasant situation.
generous [adj] wiling to give more time, money etc to help someone than is expected, - generosity [n],
hospitable [adj]  friendly, welcoming, and generous to visitors, - hospitality [n]
lenient [adj] not strict in the way you punish someone or control his behavior, - leniency [n],
put up with [phrasal verb] to accept an unpleasant situation or person without complaining
tolerance [n], willingness to allow people to do, say or believe what they want. the degree to which someone or something can suffer pain, difficulty etc.
tolerate [v] to accept something even though you do not like it.
tolerant [adj] allowing people to do, say, or believe what they want without criticizing or punishing them

反対語
can't stand [v] dislike someone or something too much "I cant't stand this noise."
inhospitable
intolerant

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