Feb 28, 2015

補助金を撒いても貧富の格差は縮まらない

日本国では、「政治が、補助金を撒いても貧富の格差は縮まらない」ということが、ある程度ですが実証されています。

社会主義者や共産主義者、あるいは偽リベラリストが主張する「貧富の格差は縮めるために累進課税(儲けの大きい大企業や高額所得者に重税を課すこと)を実施して補助金等で所得再分配をする政策」は、効果がないばかりか、逆に貧富の格差を拡大すると言えます。

最近、フランスの経済学者・ピケティ氏が著作「21世紀の資本」で資本主義では貧富の格差が拡大すると書いて話題に成っています。しかし、「貧富の格差を縮めるために、高額所得者や高収益企業に懲罰的な高い累進課税を掛けて財産を没収して庶民にばらまけ」という愚かな意見が誠しやかに流れていますが、そんなことをしたら一部の権力者(官僚と政治家と現在のお金持ち)が富を永久に独占して、その他の全員が永久に貧乏になるだけです。

国民に平等にリッチになれるチャンスがある政策とは、「最小限の生活保障だけを用意する小さいから税金が安くて自由な経済を認める政府」と私は考えています。

では、データに基いて説明します。

ジニ係数は貧富の格差を示す数値です。

「データえっせい」さんがまとめた都道府県別のジニ係数(H21年=2009年)から、47都道府県で最も貧富の格差があるのは、沖縄県です。元データは、政府の平成21年全国消費実態調査です。
格差の大きい方から、沖縄、大阪、徳島、長崎、福島、宮城です。

道府県別行政投資額(H18, 2006年の28ページ付近)で、県民一人あたりの投資が多いのは、島根2.29倍、鳥取1.91倍、新潟1.87倍、福井1.85倍、秋田1.75倍、山口1.68、北海道1.60倍、沖縄1.58倍の順序です(数字は全国平均に対する倍率)。

同じ県の土地面積あたりの投資が多いのは、東京8.20倍、大阪4.57倍、神奈川3.57倍、愛知1.99倍、京都1.91倍、福岡1.72倍、沖縄1.72倍です(数字は全国平均に対する倍率)。

一人あたり地方交付税の多い県は、島根、高知、鳥取、秋田、岩手、徳島の順で沖縄は17位ぐらいですが、別枠の沖縄振興予算が3000億円あり、県民一人あたり21万円強あります。これを加算するとトップの島根県の一人あたり金額と同額か、あるいは超える程度になります。

ということで、沖縄県は日本で補助金が一番多い県であると言えます。

ここまで沖縄県の実体を見れば、国の税金をいくら投入しても、貧富の格差を縮める効果はないということです。

年功賃金の産業比較からわかるように、公務員が一番優遇されています。沖縄に投下される税金はリッチな公務員とその一次下請け業者に吸い取られ、多くの普通の県民にまで回ってこないというのが実態です。

本土復帰からの沖縄県の産業の歴史を見ると政府や行政が利益の出る産業を興せるというのは、夢物語ということです。やはり、自分たちの資金と才覚でやるしかありません。

貧富の格差を縮めるという名目で実施されている極端な累進課税も貧富の格差を縮める効果はないとも言えるでしょう。私は累進税率はせいぜい二倍までするべきと考えます。これは一票の格差が二倍以内にしなさいという最高裁判決の数字ともバランスがとれるものです。

ついでに、消費税について逆進性という言葉を使う人が社会主義者や共産主義者や偽リベラリストに多いのですが、消費税には逆進性はまったくありません。消費税は全員同じ税率で支払うのですから、平等その物です。逆進性とは、貧乏な人ほど税率が高い状況を指すのです。冷静に正しい言葉を選びましょう。

社会主義者や共産主義者は嫉妬心という卑しい感情に訴えてあなたを扇動してきますからくれぐれもご注意ください。

また、権威主義者(官僚権威主義者や既得権保持者のこと)は、税金を沢山徴収したり赤字国債を大量発行して補助金バラマキ政治である大きな政府を維持しようとするために、社会主義者や共産主義者をワザト泳がして利用している場合があります。、社会主義者や共産主義者に迎合することで「税金をとる、赤字国債を発行する、補助金をバラ撒く」が達成できるからです。

権威主義者は、例外事項や個別対策で、皆さんを小さな利害関係で分断し、個別の補助金で取り込み、バラバラの既得権の罠にはめ込みます、こうして法律制度の複雑化を図り政府は無駄に大きくなるのです。

結論

国や行政に頼るのではなく、自立することが、国民全員で裕福になるために大切なのです。国や行政に頼らなければ、税金を減らすことができるので、さらに裕福になれるわけです。裕福な人を批判したり嫉妬しても惨めなだけです。裕福になるための勉強をしてよりよい行動をしましょう。

おまけ

社会主義者や共産主義者に不都合な真実ですが、世界一貧富の格差があるのは、共産主義の中国です。世界一貧富の差が激しい国ってどこ?中国 アメリカにも日本より大きな貧富の格差がありますが、自由であり裕福に成れるチャンスがあります。




Feb 25, 2015

リバタリアンから見た夫婦別姓制度の可否

日本国内には、夫婦別姓制度を導入させたいという一派がいて、夫婦別姓は裁判所に憲法で認められた権利ではないかと訴えているという。

私の考え方は、リバタリアンである。
私の立場から感じることがあったのでメモしておきたい。

(ここにメモしておけば、夫婦別姓制度についてもうあれこれ考える必要が無くなるからだ。)

まず、リバタリアンというのは、経済的自由とそれ以外の自由の両方を追求する立場である。ただし、私は、完全な無政府状態や無秩序状態を目指す過激な立場ではない、国の独立と個人の安全を維持できる税金の安い小さな政府を目指す立場である。私のようなリバタリアンは民主主義を大切にする。

ところで、右翼、いわゆる保守のことだが、この右翼という思想は、自分の経済的自由を追求するが、自分はすでにお金持ちで権力があり十分に自由が効くので、他人の自由について無関心、あるいは制限しようとする立場である。

また左翼というのは、他人の経済的自由を制限し、(その方法は権力者が貧乏人に施しをするという名目でお金持ちから税金を集めるのだが歴史的に分配が公平になることは一度も無かったのだが)、経済以外の自由について追求するという立場、いわゆる社会主義である。

権威主義というものがあり、これは、経済的自由を制限し、さらに経済以外の自由も制限する立場である。戦後70年を経過した日本は、複雑化し硬直化した官僚権威主義である。権威主義が行き過ぎると異論を認めない全体主義となる。全体主義はもはや民主主義ではない。共産主義というのは社会主義の仮面をかぶった全体主義である。戦中の日本は、全体主義の一種の軍国主義であったことは誰でも知っている事実であるが、戦後の日本は右翼と左翼の間で綱引きをしているうちに官僚権威主義者に取り込まれた状態であるとも言える。


以上で確認事項が終わり本題に入る。

まず憲法と民法の関係から見てみよう。

現行の日本国憲法では、

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

である。また、民法では(法律用語で「姓」を「氏」といっているので注意)

(夫婦の氏)
第750条 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

(生存配偶者の復氏等)
第751条 夫婦の一方が死亡したときは、生存配偶者は、婚姻前の氏に復することができる。

2 第769条の規定は、前項及び第728条第2項の場合について準用する。

ということで、誰がどう読んでも民法が憲法に違反するところはどこにも無い。

したがって、次の論点は、夫婦は、婚姻してもそれぞれの姓のまま使えるようにするかどうかということである。

夫婦別姓制度については、インターネットの掲示板に、多数の人が色々な意見や問題点(子供のためにならない、関連法律の修正が大変で無駄コストだ等)を上げている。そして利点が極めて少ない。その利点もまた現行の通名・芸名制度があるので利点ですらないと感じる。

現状の夫婦別姓裁判は、少数派が自己主張を訴えて多数派を作りたいと工作しているだけのことである。多数派工作は民主主義では許されている行為だ。そして、今のところ、夫婦別姓派は、世の中でも議会でも多数派ではないのだ。

夫婦別姓制度にこだわる人間は、左翼か共産主義に属すると考えられるが、左翼や共産主義の政党本部も夫婦別姓制度に特別な興味が在るわけでなく、その中の一部の少数派が、目立ちたいというだけの自己主張行動にすぎないと感じる。

マスコミは新聞を買ってもらって、テレビを見てもらってなんぼの商売だから、夫婦別姓が騒ぎになりそうならば取り上げるだけである。この騒ぎがマスコミを利することだけは確かである。

リバタリアンは夫婦別姓制度にどういう立場をとるべきか。

リバタリアンの目指す小さな政府というのは、少ない税金でやりくりできる政府である。制度が簡単になっていることが少ない税金でやりくりできる必要条件でもある。だから、今の民法の簡単な規定で十分と考えられる。つまり、「制度を複雑化して行政府の手間を増やすな」ということがリバタリアンの合理的意見である。

また、経済的自由とそれ以外の自由の両方の自由を追求するという立場で考えてみよう。結婚という制度は、法律で認められた制度であり、そもそも自由を束縛する制度である。個人の自由を徹底追求する立場の人であれば、そもそも自由を束縛するこの結婚をしないのではないだろうかという疑問が成り立つ。そして、法的な結婚をするかしないかは、日本国憲法に保証された個人の自由である(リバタリアンである私でも結婚している。私はこの結婚という制限が受け入れ可能な束縛と認識しているのだ。)

結婚という法的な手続きを取らなくても、男女が一つ屋根の下に暮らすこともできるし、子供を産むこともできる、同居する相方に財産を相続させることも遺言書でできる。まったくもって日本国憲法と民法は自由である。

だから、リバタリアンからは、夫婦別姓制度に特別な興味も関心も持つ必要がないという結論も成り立つ。


Feb 18, 2015

日本株式会社のままでいいのか

日本人は、自分達の国、日本を大きな一つの会社と考えてこれまで生きてきたのではないか。

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日本株式会社は、製造業、工場で機械(部品、自動車、電気製品)を作るメーカー。
商品は、機械と部品。
仕入れ材料は、石油や鉄鉱石という天然資源。

日本株式会社は1945年に一度倒産(敗戦)したが、
かつての敵、アメリカ合衆国の支援で立ち直った。

「原料の天然資源を輸入して、機械や部品を作って世界に売り、
外貨ドルを稼ぎお金持ちになる」
これが変わらない事業方針だ。

1980年代に、日本株式会社の事業は栄光のピークを迎えたが、
そこから下り坂と停滞の繰り返しだった。

昔も今も日本株式会社のトップの社長や役員は、高齢の老人ばかり。

昔と違うのは、働ける若い社員が減り、
ちっとも働かないで給与(年金)をもらう高齢役員が多い。

日本株式会社の社員食堂の食材は、
日本株式会社敷地内の田畑で育てているが、
この農地が狭く、とても全員分は作れない。
しかも、昔からたった一人の老人(農協)が独占的に作っている。
昔ながらの農法なので、それなりに美味しい作物だけれど、
生産量が不足しているから食事の値段が高くなる。
だから、食材の半分以上は、社外(外国)から買って来る。
で、この老人(農協)の目が厳しくて、
高額の持ち込み料(関税)が課せられている。

長年、社員食堂の価格が給料に占める比率(エンゲル係数)が高いのだ。

最初は、開発部長(経済産業省)に言われる通り、
ライバル社(先進国)の機械の真似をして作って売った。

社員(国民)の給与がライバル社(先進国)よりずっと安かったから、
とてもコストが安いので製品も安かった。

大多数の社員の業務は工場での大量生産だから、
仕事内容は、だれでも同じ簡単な作業だ。
社長は、給与の支払い総額を20年間、安く固定できる名案を思いついた。
年齢だけで給料を決めてしまうという方法(年功序列)だった。
頭がよく効率良く働く人も、たいして働かない人も
年齢が同じならみんな同じ給料だ。
だから頭がいい人は簡単な仕事だからテキトーに働けばいいし、
頭が悪い人も簡単な仕事だからできる。
誰でも同じ給料がもらえた。

始めの内(高度成長期)、年寄りの会社員がとても少なく、若い社員ばかりだったから、
給与はもちろん安い、社員への給与支払い総額は低く抑えられた。

でもすぐに日本株式会社の機械は売れなくなった。
なぜなら、品質が悪くてすぐ壊れたからだ。

だから、社員は全員で改善を毎日毎日、積み重ねた。
こうしてできた、安くて丈夫で壊れない日本株式会社の機械は
世界中で売れに売れた。

日本株式会社は、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われたものだ。
いまでは過去の栄光だ。

日本の技術者は、機械に機能をてんこ盛りにすることは得意中の得意だった。
機械を小さくすること、省エネにすることも得意中の得意だった。

得意の絶頂もバブル崩壊の時期から下り坂になった。

いつの間にか、最大のライバル社(アメリカ)は、
沢山の事業部が独立採算(規制が少く自由なグローバル企業)でやっていた。
だから独創的でスマートな商品がどんどん出てきた。

日本株式会社製品は、もともとライバルの真似から入っているから、
独創的デザインとかオリジナルデザインがヘタだった。

合議制でしか物を決められない体質なので、
シンプルにするとか使いやすくするとかの改革は、
さらに苦手、というより、空気を読んで決して言ってはいけない事だった。

社長と開発部長も、いつのまにか儲かることだけが第一になってしまった。
リーダーが美的デザインや使いやすいという感覚に無関心だった。

年齢だげて給料を決めるという年功序列を長く続けすぎたから、
人件費が世界一になっていたため、
日本株式会社の製品価格がいつの間にか高くなっていた。

コスト対策のため、
新興のライバル社(韓国、中国、他のアジア勢)に、
下請け工場を立てて技術指導をしたら、
安くてそこそこ使える品質の完成品を出されて、
市場を奪われてしまった。

悪いことに、
働けない老役員にもまだ給与(年金)を支給しているし、
大半の老役員は病院通いで医療費を使いまくる。
みんな日本株式会社からお金が出ているのだ。

若い人の給料は、徐々に安くなって来たというが、
新興のライバル社(韓国、中国、他のアジア勢)よりずっと高いままだ。

家屋・道路や設備は、日本株式会社の設備部(国土交通省)で作れた。
でも、家屋・道路や設備を借金で作りすぎた。
とてつもない借金(国債残額1000兆円以上)で
どうやって返したらいいのか判らない状態だ。

でも借金(国債)の借り先は、日本株式会社のお金持ち役員(民間銀行と郵貯と年金基金)だ。
このお金持ち役員は日本人ということになっているけど、
このお金持ち役員のスポンサー(株主)の半分は外国人なんだ。
だから、スポンサーから金を返せと言われると辛いことが起きる。

とてつもない借金は管理部と設備部(政府と地方自治体)で
使い込んだことが原因だという噂がときどき流れてくる。

ここ数年、新しい社長(総理大臣)と財務担当役員(日銀総裁)の方針で、
日本株式会社製品を安売りするようになった(円安)。

そのため全員の給料も実質的に下げられた(ドル建てで大きく目減りした)、
それでも、社員食堂の値段も連動して下がった(ドル建てで大きく目減りした)から
生活はあまり変化がなかった。、
ところが、一年前に社員食堂の値段が3%上けられた(消費税の増税5%→8%)。
たった3%だけど、社員は気分を害したので、今は食事を減らして我慢している。

最近の日本株式会社の決算(貿易収支)は赤字だ。
それでも今は、材料の原油安で一息ついている状態だ。

若い男性社員(国民)は、結婚しない人が多くなった。

表の理由は、男性の一人暮らしでも生活に不便なことがないし、
趣味に割く時間が多くて忙しく結婚生活に割く時間がないからだ。

裏の理由は、
結婚すると子育て期間は職を止めたいという女性はまだまだ多い、
職を止めて貧乏に耐えて子育てに全力を出してくれる女性は少ない、
いわゆる専業主婦が要求する高給に自分の給与が達しないからからだ。

昔の社員はずっと同じ仕事についていられたし、
特別がんばって働かなくとも給与が年ごとに上がったし、
一生解雇もされなかった。

管理部と設備部(公務員)は、
まだこの昔ながらの雇用体制のままで会社にとって赤字体質だ。

今の日本株式会社の現場の若い社員は、同じ仕事をし続けるだけでは給与は上がらない。
雇用の契約も短期が多くなってきた。
腕を磨いて転職していかないとそもそも給与が上がらないようになってきた。

これでは大半の若い社員(国民)は結婚することはできない。

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今後、社長(総理)は改革を進めるといっているから、
社員の多くは期待しているがどうなっていくのだろうか。

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日本株式会社への処方箋は、いくつかある。


高齢役員への給与を減額(基礎年金の単年度会計化と付加年金の民営化、保険医療費の全員3割負担と保険診療と自由診療の混合医療への移行、保険診療内容の拡充の10年間停止する。)

金食い虫の管理部と設備部のリストラ(政府と地方自治体と関連団体の人数縮小または給与のダウン、補助金の廃止、減税、税体系の簡素化)。

日本株式会社社員食堂の自由化
(農業の株式会社化、農産物関税の撤廃、安全保障としての農地維持の義務化導入
これらによる食料品価格の国際水準化で社員給与を上げなくてもよくする)

新興のライバル社(韓国、中国、他のアジア勢)へは、
無償技術指導の中止または指導の有償化。

長期的な戦略として
事業部制や子会社制の独立採算体制(規制緩和、自由化、補助金撤廃)で
ライバル社(アメリカ、ヨーロッパ)のオリジナリティとデザイン思想に
対抗できる自主性のある人材を育てる。

公平でライフステージに合わせた就労と生産性の向上を両立する。
同一労働同一賃金の徹底
(能力と前年実績だけで賃金を決める、男女差別、年齢差別を禁止)。
企業の社員の5%までを毎年解雇できるルールの新設
ただし、公務員は手本として必ず5%を解雇する
(解雇者は元の職場の就職試験への再挑戦権を認められる)
一週間の勤務日・勤務時間の設定の自由化。
育児休暇・介護休暇での解雇禁止と給与支払い免除のルール新設。

少子化には少数精鋭主義で望み、
教育資金の政府からの無担保融資と成績による利息決定システムの導入。
人口を増やさないで一人あたりの所得増加あるいは余暇の増加を国家目標とする。

本当にコストダウンできるロボット、コンピューター、システムの開発と導入で
長期的にライバル社(アメリカ、ヨーロッパ、韓国、中国、他のアジア勢)を
圧倒する生産性達成の目標設定をして、
夫婦と子供二人家庭で夫婦のどちらか一人だけが働いて
平均的な豊かな生活ができる社会を目指す。

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社長や役員の若返りで、若者に未来を託す。

若者に思想と経験を本で残すだけにとどめて、
金は出しても口を出さないことが老人の役目だろう。



補助金に頼らない地方創生のアイデア

木下 斉(きのした ひとし)さんの記事三本がナイスです。

木下さんの肩書は、地方再生人、内閣官房地域活性化伝道師

以下、木下さんの記事三本の要約です。

リアルな地方創生は、補助金に頼らない

従来の自治体・政府の手法、
「開発できる予算さえあれば、箱物をを作ってしまう」
「一度決めた計画は二度と変更しない」

民間の手法
「計画通り営業してテナントが集まるまで作らない」
「テナントが集まるまで大胆に計画の変更をする」

自治体の公共施設は、強制的な集客力がある
公共施設と民間の施設を隣接させることで街の活性化ができる

なぜ地方は補助金をもらっても衰退するのか

必要なのは「補助金そのもの」ではなく、
「利益を生み出す事業」だから

もちろん住民が活躍できる事業である

「税金を用いた公共事業は、
利益を出してはいけないという縛りがあるから、
税金を用いた活性化事業は、そもそもやるべきで無い」

民間が立ち上がるほか、地方が活力を取り戻すなんてことはない
= 活力のある地方は、民間が立ち上がっている

特産品で地方創生ができるという「幻想」

[商品開発の問題点]

売れる商品像を描かず、安易に作れる物を作る
強豪メーカーの真似をしてしまう
不必要な技術経費を掛けてしまう
作ってから売りに行く
流通側や、消費者側からみた価格付けをする


[商品開発のよい進め方]

作りたいオリジナルの商品像を描く
消費者がいることと流通網があることを確認する
モニターユーザーで試作品の評判を探る
売れる数だけ作り売る


♡感想♡

自分のことを反省する良い機会になりました。

「モニターユーザーで試作品の評判を探る」ことは、
営業そのものです。

木下さんの仰る通り、私には頭が痛いことです。

Feb 12, 2015

自由と平等から、相続税は格差是正と言えるか

お金持ちの子息が相続によって、生活基盤と事業基盤を円滑に継続することは、「生まれながらに階級が固定する問題ある格差」ではいかという疑問について、以下に検討しました。

これは、真の自由主義者、リバタリアンの立場として、また平等主義の立場から、相続税はどうあるべきかを考えたのです。

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税率

現行の日本の相続税は、6億円超の相続をするときは、
(6億円-7200万円)*55%の税率
となります。

相続財産が、1000万円以下のときは、税率10%です。
累進課税の倍率は、5.5倍ということになります。

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リバタリアンの流儀である、小さな政府の鉄則では、
(1)税目を減らす
(2)税率を軽くする
(3)免税例外や累進課税をなくし税体系を簡素化する
ことになります。

また、平等主義の立場は、
(1)人権の平等
(2)機会の平等
です。

憲法に規定される国民であれば、法律上の人格の扱いが平等であること、法的権利の平等です。

機会の平等とは、機会均等を他人の自由や財産、公共の福祉を侵害しない限り保証すること、これは、チャレンジする機会を可能な限り平等に与えるということであり、チャレンジした結果、競争の結果である報酬の差の平等を意味しません。

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今は、子供が一人か二人の時代ですから、妻を入れて相続人は、三人程度です。非上場の優良中小企業であれば、相続財産は、20億を超えることは当然ありうることです。

相続税に、55%もの税をかけるということは、努力して成功した優良中小企業の財産の55%を売却することになります。つまり、企業の支配権を、この人ならという相続人に譲ることができなくなります。仕方ないので、銀行から納税額を借金して、あるいは銀行に株式を55%も売却することで現金を作り納税することになります。銀行は労せずして、優良中小企業の支配権を手に入れる(55%を支配するので経営権を奪取)ことになります。これは、政府と銀行に会社事業が乗っ取られることになります。経営権を持つ銀行は部外者ですから、事業方針が変わります。死亡した創業者の意図とは別の方向に事業が進み、将来はどうなるか解りません。

このように、相続税に、55%もの税をかけるということは、個人財産権への著しい侵害と感じます。

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憲法との比較

あの悪名高い選挙の一票の格差も、最高裁の判例で認められるのは二倍までです。

5.5倍もの累進課税は、日本国憲法に謳う平等「第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」に違反すると思いますが、線引の数字かはっきりしないので共産主義者や社会主義者が多いと言われる裁判所はどう判断するのでしょうか、とても恐ろしい気分です。

日本国憲法に謳う財産権「第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」とあります。

財産が無税で相続されても、公共の福祉に害をなすことはありません。つまり、無税で相続は公共の福祉に適合しています。所得税は、役人の給与にする、不動産税は国土の利用料金であり国防費、道路税は道路建設維持と、正当な補償名目がありますが、相続税について、正当な補償は、されるのでしょうか。

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格差の検討

高額な相続が「生まれながらに階級が固定する問題ある格差」かどうかということですが、妻(あるいは夫)、子、あるいは遺言に指名された相続人に分けて検討します。

相続時点で妻(あるいは夫)は、一緒に長年夫婦で努力してきたからこそ、この財産があるのだから、生まれながらではありません。だから、妻(あるいは夫)が相続する場合は、格差ではありません。

子の場合ですが、子も相続時は、しっかりとした一人前の大人の年齢になっていることが予想されです。子は、しっかりとした一人前になるために、生まれながらだでけでなく、教育を受け、社会に出て働き努力を積み重ねています。死亡した親も、財産(会社やその他)を相続してもこの子やっていけると信じているから、相続させている訳です。だから、単なる生まれながらに階級が固定する問題ある格差ではないことになります。

遺言に指名された相続人の場合は、死亡した人がこの人ならということで相続を指名しているわけですから、事業継続の才能を見込まれているわけです。だからもこれも、単なる生まれながらに階級が固定する問題ある格差ではないことになります。

ということで、相続そのものは、「生まれながらに階級が固定する問題ある格差」ではないということです。

「生まれながらに階級が固定する問題ある格差」とは、有り体に言えば、学校でお金持ちの子供の成績をエコヒイキして良くするというズルすることでしょう。

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結論

自由主義と平等主義から、相続税は、廃止することが最も相応しい。
また現在の日本国憲法の精神からも、相続税は、廃止することが最も相応しい。

しかしながら、昨今の国家財政窮乏の折から、リバタリアンとしては妥協を行い、
相続税を当面の間残す、税率は、10%固定とする。また、控除額は0とする。

国家財政破綻の危機のときは、累進課税を認めるが、累進税率は二倍以内としなければならず、20%を越えてはならない。


問題は日本が努力が報われない同質社会であること

真の自由主義者(リバタリアン)にとってナイスなプログを紹介します。

山田順さんのピケティを礼賛するメディアの愚。なぜ格差が開いてはいけないのか? 資産に課税? 冗談ではない。


山田順さんの意見を要約すると

『21世紀の資本』を出版したフランス人ピケティ氏をありがたがる風潮に反対意見がある。

機会の平等を保証してお金儲けの優劣を競う資本主義が機能すれば、格差が開くのは当然。

生まれながらに階級が固定され、努力してもアイデアがあっても、誰もその階層から抜け出せないとしたら、そこにある格差は問題。

結果の格差が1%と99%になっても、99%が貧困でなくなり人間らしい生活ができる限り、なにも問題はない。

ピケティ氏が来日して発言したことは、二点。

1.「日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を取れる」

私が考える裏の意味は、累進課税で、日本のお金持ちの足をもっと引っ張れ、日本のお金持ちを貧乏にしてしまえ、そうすれば、新しいアイデアを実現する能力(金持ちの財力)が日本から消えてしまう、相対的に、フランスやヨーロッパに有利になる。あるいは、日本の金持ちがフランスやヨーロッパに移住してくれる。

2.「インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう」

私が考えるの意味は、公務員の人件費(給料、退職金、年金)は日本政府・地方公共団体の税収の半分以上を占めている、ここの費用を上げれば、日本政府と・地方公共団体は、国民にサービスする余裕はなくなる、国民へサービスするには、国債や地方債で借金をするか増税をすることになる、つまり借金体質にして国家財政破綻を早めることができる、あるいは、増税により日本国民の経済の疲弊に繋がるから、相対的にフランスやヨーロッパに有利になる。

ただし、日本の人口に対する公務員の人数比率は、国際比較では少ない、そのかわり一人あたりの人件費が世界に較べて突出している、原因は公務員の年功序列給与体系、これは事実(野村総研の調査あり)


山田順さんは、「ピケティ氏のフランスと日本では状況が異なるから、ピケティ氏の考えは日本では通用しない」という考え。

ただし、日本には、醜悪な格差があると山田順さんは指摘する。

女性の給料は男性に比べたら著しく低いという生まれながらの格差

官民で同じ仕事した場合の給料格差(同一労働同一賃金でないという身分格差)

問題は、日本が、真面目に働き、努力し、そして能力とアイデアで成功しても給料で格差が付かない同質社会であること、つまり、一つの会社のサラリーマンの社員間の格差、社長と平社員の貧富の差がなさすぎること。別の言い方なら、年功序列で賃金が決まり、努力してもしなくても賃金が変わらないこと。

ピケティ氏の主張は、「お金持ちへの資産課税をする」ということだが、「お金持ちから税金を取ってみんなに配る。」これは一見すると“公正”、正しいことにように見えるが、じつは、国家にたかる層を多くし、国家を運営する人間たちの力を強めるだけであると、山田順さんは力説している。

山田順さんの情報、「ある出版界の人間が集計したところ、現在、マンガ家は約5300人いるが、このうちのたった70人が億以上の年収を得ていた。そして、それ以下のマンガ家は、ならすと年収は300万円だった。このなかには、1000万円以上の作家もいれば、100万円以下の作家もいる。」を計算すると、70人/5300人 = 0.013 つまり、約1%と残り99%である。70人で70億円以上の収入、残りの人数の収入は、300*(5300-70) = 1569000 つまり、156億9千万円。これはまさに、上位1%が残り99%の収入の半分近くを占めている、ピケティ氏が言う世界の格差にかなり近い。

日本の格差は、世界と比べてまだまだ小さすぎる、日本は、「もっと格差が開くべきだ」と山田順さんは指摘する。

真面目に働き、努力し、そして能力とアイデアで成功した人が報われる社会であるべきだと山田順さんは指摘する。

(私の感想)

リバタリアンの端くれである私も、山田順さんの意見には賛成です。

(私の気付き)

相続税の累進課税を廃止あるいは累進率を二倍以内に押さえて、お金持ちの子息の相続による、生活基盤の継続と相続した事業の円滑な継続を促進することは、「生まれながらに階級が固定する問題ある格差」ではないかという疑問です。これは別記事で説明します。


江戸時代の平均寿命30歳の中身

江戸時代の日本人の平均寿命は30歳前後といわれている。

江戸時代の日本人の平均寿命は 約30歳だった
江戸時代後期の平均寿命は男子20.7歳、女子28.6歳といわれる。
17~19世紀「江戸時代」(1603-1867)17世紀では、20歳代後半~30歳

以下、簡単な計算をしてみる。

平均寿命は30歳を仮定する。

一人の大人の健康な女性が一生で産み育てられる子供の数は8人ぐらいだろう、三年に一度出産し、妊娠(一年弱)と二歳の幼児(自分で歩き言葉を話せる)になるまで一人の子供に手をかけて育てることを想定、子供8人だから24年間の母親の子育て期間がある。江戸時代だから避妊具は無し、希望しない妊娠の時はわざと流産(水子)を選択する場合もありうる。実際、末子の乳児が二歳になるまでに妊娠する確率は健康な女性ほど高く、わざと流産した可能性は高いだろう。以後、流産した水子は人数から除外していく。

となると計算上の8人の子供の寿命は、

05歳までに死亡 二人 (確率25%)
15歳までに死亡 二人 (確率25%)
40歳までに死亡 二人 (確率25%)
60歳までに死亡 二人 (確率25%)

これらを合計すると8名で240歳(5*2+15*2+40*2+60*2=240)となり、
平均寿命は30歳(240/8 = 30)となる。

男女比はほぼ1対1だから、8人の性別は、男4人、女4人である。

そして、江戸時代の相続制度「単子相続」から、結婚できたのは、60歳まで生きた男女一名ずつ合計二名だけであり、40歳まで生きた男女一名ずつは結婚していないことも仮定できる

(もし40歳まで生きた男女一名が結婚していたとすると、人口が短期間で二倍近くに増えてしまうことになるが、江戸時代ではそこまで急に人口は増えていなかった)

あるいは、60歳まで生きた男女一名ずつも、40歳まで生きた男女一名ずつも結婚できたとすると、
60歳まで生きた男女一名ずつは、5人の子供を産み、40歳まで生きた男女一名ずつは3人の子供を産むということになる。望まない妊娠が多く発生するのでわざと流産(水子)を選択せざるを得ない。

また、100人いる村の年齢別の人口比の計算だが、
00歳から05歳まで 53人
06歳から15歳まで 27人
16歳から40歳まで 13人
41歳から60歳まで 07人
となり、完全なピラミッド型人口構造となる。

...

(他の資料をあたってみると)


江戸時代は未婚率が60%以上だったって本当
によれば、上記の計算がおおまかに江戸時代を表していることを示す。

歴史人口学から見た江戸時代農村の結婚について
によれば、江戸時代の農村についてだが、

江戸時代の農村の初婚年齢は、裕福なほど低い。これは貧乏なほど結婚できないことを示す。

東北地方は西日本より初婚年齢がかなり低かったのは、自然環境が厳しく死亡率が高かったから、大人が少く子供のうちに結婚したということ。

結婚した夫婦が産む子供の数は、四人(東北地方・死亡率が高い、東北地方では、飢饉などから嬰児殺しが行われていたという説もある)から、八人(西日本)。

子供八人という数字は、一人の大人の健康な女性が一生で産み育てられる一般的な最大数といえそう。

江戸時代を通じて10歳以下の死亡率は4割弱に及ぶ」とされておりこれも上記の計算「15歳までに半数が死亡」と一致する。
「(17世紀の)江戸時代の(農村)社会の特徴として皆婚社会であった」とされている、これは17世紀だけの人口急増期間だけの話であることに注意しなければならない。証拠として、「それ以前は嫡子以外は生涯独身であることも少なくなかった。」などの補足がされている。

また、おもしろいことに江戸自体の農村の離婚率は50%を軽く超えていたという、つまり「農村では離婚再婚はかなり高頻度で見られている。...妻の再生産年齢の上限(50歳)まで結婚が継続した「完結家族」は四四パーセント(半数弱)』」

江戸時代の首都、江戸では、男女比率が偏り、男対女は、100:55であるという。単純計算では、100人の男のうち、45人以上は、女とペアを組めない。だが話はそう簡単にすませられない。この男女比率は子供を含むのかどうかが第一のポイントであるが、子供を含まず大人だけの比率が100:55と仮定する。そして、ペアを組み夫婦となっている女は、40人(女の既婚率40/55=0.73)とすると、55-40=15人の女が未婚の大人となる。男は、100-40=60人の男が未婚である(の既婚率40/100=0.4)。大人の男60人は結婚していないが、女を抱きたいとなる。そうなると、女の不義密通の刑罰が特に厳しい江戸時代なので、未婚の60人の男の相手をする女は未婚の15人の中からとなる。計算では一人の未婚の女性に4人の男性の割り当てとなり未婚の女性は非常にモテる。道徳的な話と女性保護の観点は現代と江戸時代では異なり、江戸には遊郭・吉原があった。ここが栄える必然性は男女比率にあったとも言えるだろう。

(まとめて見よう)

江戸時代では、子供が大人になれるかどうかは五分五分である。
江戸時代では、大人になっても結婚できるかどうかは五分五分である。
江戸時代では、結婚するには家族を養う財産(家と田畑、家と職)が必要である。

(平成時代を考えてみよう)

前提事項として、

私達は全員、世の中を自分にとって都合良く、ついでに皆にとっても都合良くしたいと思っている。だが、良くするという改革の方向は人それぞれ個別の意見があり、なかなかまとまらない。だから、改革はいつも手遅れになってしまう。賢い人ほど、現状の制約の範囲で自分の利益が最大になるように振る舞う。つまり、現状を受け入れることが多くなり、改革について自己主張することは相対的に少なくなる。

以上を、想定しておこう。

そうすると、現状の社会(子育てにとてもお金がかかる、妻や子供に老後の面倒を見てくれないかもしれない、避妊具が発達し性の快楽と子育てを分離できる、金さえあれば誰でも受けられる介護サービスがある)で、日本の若い男性が取る戦略、「結婚をせず子供を設けない」は、彼らにとって合理的である。

さらに、「結婚するときは、子供が欲しいときだけ、ただし優秀な子供が生まれ育つように相手を吟味したい、丁寧に育てるから子供は二人まで」という戦略となるだろう。

少子高齢化は必然と言える。

必要な対策は、「結婚の奨励」や「出産の奨励」、ましてや「移民導入」ではない。

必要な対策は、「人口が減少しながら、国民が幸せに暮らせる社会」の建設である。






著作権はさらに強く保護される

著作権は、今後さらに強く保護されることになるそうです。

TPP交渉の経過からもれ伝えられることによると、

期間延長(保護期間が50年から70年となる)
非親告罪(著作権保持者が告訴しなくとも警察・検察が勝手に捜査して刑事罰を課すことができる)

方向であるとのこと。

(参考)栗原潔さんの記事、TPPによる著作権侵害罪の非親告罪化で何が変わるのか?

私たち市民も、インターネットを使った情報発信で、これまで以上に注意をしないといけないようです。


四人のピケティ氏が来日したそうです

今日、見つけたの vest blog の紹介です。

 城繁幸 さんの記事 「ピケティ狂想曲を俯瞰的に眺めてみよう

「21世紀の資本」を出版したフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏の提灯持ちに成りたい人がグループ分けされるという鋭い考察です。