はじめに
日本に自衛権はあるのか無いのか、あるとすれば行使できるのかできないのか。
自衛権に個別的自衛権と集団的自衛権の二種類があるがどこまで日本に許されるのか。
憲法だけを見ていては、解らないことが、歴史と国連憲章で明確になります。
日本国憲法と自衛権の三段論法
1. 占領下で制定された日本国憲法には戦争と自衛権についての定義はない。
2. 日本国憲法98条では、条約と国際法が憲法より優先することを示している。
3. 日本国との平和条約(「サンフランシスコ平和条約 1951年)は、日本に国連憲章第51条に掲げる個別的自衛権と集団的自衛権が有ることを明記している。
ソ連(ロシア)、中華人民共和国、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との自衛権の関係
ソ連(その後のロシア)は、日本国との平和条約(「サンフランシスコ平和条約)に署名しなかったが、日ソ共同宣言(1956年)にて、両国の戦争の終結と相互の自衛権を認めた。
日本国は、1956年に国際連合に加盟し国連憲章を承認しているので、すべての国連加盟国と日本の間で相互に、国連憲章第51条に掲げる個別的自衛権と集団的自衛権が有ることは明白。
中華人民共和国(1971年国連に加盟)、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(1991年国連に同時加盟)と日本国の関係においても、両国は国連に加盟しているので、相互に自衛権があることを承認している形となる。
戦争と自衛権の定義
日本国憲法に優先する国連憲章には、戦争の明確な定義条項はないが、第2条4から、「武力による威嚇または武力の行使による外国領土または政治的独立への侵略行為が戦争をすることである」と解る。国連憲章第51条には、戦争をふっかけられた国に自衛権があることも明記されていて、自国の領土、南極のような政治的な中立地、公海や宇宙での
自衛権の行使は戦争をすることではないのであり、防衛策であることが明らかである。
敵国条項
国連の原語は、第二次世界大戦の連合国の集まりという意味であり、国連憲章には、敵である枢軸国のドイツ・イタリア・日本へ対する
敵国条項が明記されている。その内容は、この三国が国連加盟国へ戦争をしかけたら、加盟国は一切の国連決議なしに無制限にこの三国を攻撃してよいことになっている。したがって、日本は、単独では、自国領土内での専守防衛と公海での自国船の警備しかできない、先制攻撃することはまったくもって認められていない。国内法にすぎない日本国憲法は、外国に対しては何の効力もないのだから憲法をどのように好戦的に変更しても、外国を先制攻撃することは、全世界からの袋叩きによる敗北を招く。敵国条項が、北方領土、竹島を武力で奪い返せない本当の理由であり、尖閣諸島の領海から中国を武力で追い払えない理由である。しかし、敵国条項には、孫悟空の頭の輪は『緊箍児(きんこじ)』の役割がある。かっとなって頭に血が上り戦争に突き進まないため、
高潔な正義の武士道を貫くための縛りである、と考えれば、進んで受け入れるべき条項とも思う。
結論
以上より、日本国は、日本国憲法とそれに優先する国連憲章により個別的自衛権と集団的自衛権の両方があり、どちらも行使することができる。古い政府見解である「自衛権はあるが憲法上これを行使することはできない」は可笑しなことが誰にでもわかるだろう。当然だが、自衛隊や防衛庁が憲法違反ということもない。ただし、日本国憲法は連合国の占領下にて制定されたものなので、戦争と自衛権の行使について、明快に記述しなおすこと(憲法改正)が、今後の政治の場での自衛権の行使ができるかどうかという無駄な議論の必要が無くなるので好ましいと思う。
参考歴史年表
1945年(昭和20年)7月26日
ポツダム宣言の発表 by 連合国の主要三国のアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席が発表、ソビエト連邦は後から加わり追認
1945年(昭和20年)8月10日 ポツダム宣言の受諾の回答
by 大日本帝國
1945年(昭和20年)8月14日 ポツダム宣言の受諾の詔書を発布、終戦の詔勅 by 大日本帝國
1945年(昭和20年)8月15日
ポツダム宣言の受諾と降伏決定を国民に発表、大日本帝國の陸海軍に停戦命令、この時点で縮小された領土確定(ポツダム宣言より北方四島、竹島、尖閣諸島も日本領土と日本側は解釈)
1945年(昭和20年)8月18〜21日 ソ連が千島列島東端の占守島を奇襲攻撃し占領
1945年(昭和20年)8月29日 ソ連が択捉島を占領
1945年(昭和20年)9月1日〜4日 ソ連が国後島・色丹島を占領
1945年(昭和20年)9月02日 降伏文書に調印 on 米戦艦ミズーリ、日本は連合軍の占領下に入る(竹島は日本が管理、尖閣諸島を含む沖縄諸島は米軍施政下)
1945年(昭和20年)9月3日〜5日 ソ連が歯舞群島を占領
1945年(昭和20年)9月9日 中華民国政府は南京にて日本による降伏文書を受領(この時点で尖閣諸島を含む沖縄諸島は米軍施政下)
1945年(昭和20年)10月24日 連合国により
国際連合が設立し国連憲章が成立
1947年(昭和22年)5月3日 連合軍の占領下にて
日本国憲法が施行(大日本帝國から日本国へ)
1949年(昭和24年)4月 中国共産党軍が中華民国・南京国民政府の首都・南京を制圧
1949年(昭和24年)10月1日 中華人民共和国の建国
1949年(昭和24年)12月 中華民国が台湾島の台北に遷都
1950年(昭和25年)1月 米韓軍事協定
1950年(昭和25年)6月25日 朝鮮戦争の勃発
1950年(昭和25年)8月10日 GHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)が出される。警察予備隊はその後保安隊、自衛隊となる
1951年(昭和26年)9月8日
日本国との平和条約(中華民国、ソ連を除く連合国の52国が参加しているサンフランシスコ平和条約)に日本が署名(この時点で、日本の領土(北方四島、竹島は日本、尖閣を含む沖縄は米国軍政下)が国際的に承認される)
1951年(昭和26年)9月8日 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名
1952年(昭和27年)1月18日 大韓民国大統領 李承晩が竹島を韓国領と宣言
1952年(昭和27年)4月28日 日本国との平和条約が発効(中華民国、ソ連を除く連合国との間の戦争状態が終結し日本は占領下から国家主権を回復)
1952年(昭和27年)4月28日 日本国と中華民国との間の平和条約(日華条約)に署名
1952年(昭和27年)6.月16日
日本が国連加盟申請
1952年(昭和27年)8月5日 日本国と中華民国との間の平和条約が発効
1952年(昭和27年)10月15日 保安庁が発足、警察予備隊、海上警備隊及び海上保安庁航路啓開隊は、それぞれ保安隊、警備隊に改組
1953年(昭和28年)4月20日 李承晩の命令で韓国の独島義勇守備隊が竹島を侵略、海上保安庁職員と日本漁民を殺害し占領(アメリカ合衆国は、米韓軍事協定と日米安全保障条約の板挟みで出動できず)
1953年(昭和28年)7月27日 朝鮮戦争の休戦
1953年(昭和28年)10月1日 米韓相互防衛条約の調印
1954年(昭和29年)7月1日 保安庁は防衛庁に改組され、保安隊及び警備隊は、「陸上自衛隊」、「海上自衛隊」及び「航空自衛隊」に改組
1956年(昭和31年)10月19日 日ソ共同宣言に日本国とソビエト連邦がモスクワで署名
1956年(昭和31年)12月12日
日ソ共同宣言が発効
1956年(昭和31年)12月18日
日本が国連に加盟
1965年(昭和40年)6月22日 日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)の締結(竹島問題は紛争処理事項として棚上げ)
1968年(昭和43年)尖閣諸島海域で海洋資源が発見
1971年(昭和46年) 4月09日 アメリカ国務省のスポークマンであるチャールズ・ブレイが「アメリカは来年、尖閣列島を含む南西諸島の施政権を日本に返還する」と発言
1971年(昭和46年) 4月10日
台湾国民政府外交部は、情報司長談話で「尖閣列島は国民政府に返還すべきである」と発表
1971年(昭和46年)10月25日 中華民国が国連から追放され
中華人民共和国が加盟し常任理事国となる
1972年(昭和47年)5月15日 沖縄(琉球諸島、大東諸島、尖閣諸島含む)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還
1972年(昭和47年)9月29日
日中共同声明の発表
1978年(昭和53年)8月12日 日中平和友好条約の署名
1978年(昭和53年)10月23日
日中平和友好条約の効力発生
1991年(平成3年)9月17日
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が国連に加盟
2012年(平成24年)10月19日、台湾の立法院は尖閣諸島の領有を宣言する決議
ポツダム宣言(抜粋) 1945年7月26日
11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。
国連憲章(国際連合憲章から戦争、武力と自衛権の抜粋) 1945年10月24日
(前文から)「われら連合国の人民は、 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、」
...
「共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、」
...
第1条
国際連合の目的は、次のとおりである。
1. 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整または解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
...
第2条4
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
...
第39条
安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。
...
第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
...
第53条
1. 安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
2. 本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。
...
第107条 この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。
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日本国憲法(戦争と条約について抜粋) 1947年5月3日
(前文から)「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
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第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
...
第六十条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
○2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
第六十一条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
...
第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
...
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
...
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
...
[時代背景]大切なことは、日本国憲法は国連憲章の後の作であること。当時の日本は、連合軍(今の国連、実質はアメリカ軍)の占領下にあった。当然、日本国憲法の内容は国連憲章の影響を強く受けている。だから、戦争と自衛権の定義は国連憲章に委ねられ、日本国憲法に記載はない。日本は、ポツダム宣言の受諾で軍隊が無条件降伏しているから、日本国憲法でも戦争(当然侵略)を他国へ仕掛けることは禁止している(第九条)。さらに、98条では、国連憲章を含む国際法が、憲法より優先することを示している。だから、日本国憲法とくに第九条だけを読んでも意味をなさないし役に立たないのだ。憲法の98条を読むことで国連憲章に思い至り、国連憲章にこそ日本国の外国に対する行動を制限する原則があることを学ぶ必要がある。
日本国との平和条約(「サンフランシスコ平和条約)の抜粋 1951年9月8日
第5条(c)
連合国は、日本が主権国として国連憲章第51条に掲げる個別的自衛権または集団的自衛権を有すること、日本が集団的安全保障取極を自発的に締結できることを承認
[時代背景]日本が独立国に復帰できた条約が、このサンフランシスコ平和条約である。この条約でポツダム宣言に書かれた戦争終結とその後の占領時代がソ連と中華民国を除いて終わりを告げた。中華民国に対しては、翌年の日華条約で戦争終結となった。ソ連との間は、五年後の日ソ共同宣言までかかった。中華民国政府が台湾に遷都(1949年)したため、中華大陸を支配する中国共産党が独裁する中華人民共和国とは、21年後の日中共同宣言まで待つことになった。
日本が国連加盟申請 1952年6.月16日
日本の当時 の岡崎外相 が、加盟申請書の付属文書で行なった宣言「日本国は、国際連合憲章に掲げられた義務をここに受諾し、国際連合の加盟国となった日か ら、わが国の有するあらゆ る手段をもって(by all means at its disposal)、この義務を遵守することを約束する」
[時代背景]これは、誰がどう読んでも日本は国連での義務を果たすということです。外国から見たら「日本は国連の義務を果たす約束をしたよね」と見られています。自国領土と公海での自衛権の行使は憲法に優先するサンフランシスコ平和条約で認められた権利です。しかし、当時は朝鮮戦争の真っただ中で、国連軍が朝鮮で戦っています。日本としては、政府も国民も朝鮮戦争に参戦はしたくありませんし、アメリカとしても日本の参戦はお断りでした。日本国内では大戦直後であり、厭戦気分があるため、それを宥めるために、政府は言い訳がましいことばかり言います、そういう言い訳(自衛権はあっても行使できない、とかです)を国民が好んでいたという背景があるから、それにマスコミが商売として煽り、野党がさらに炎上させていたのです。 その厭戦気分とマスコミの商売が、伝統となり現代まで続いています。日本人は、現実を見ない癖と多様性を認めない欠点があります。例、1.太平洋戦争でアメリカに勝てると思わされたこと、2.自衛権はあっても行使できないと思わされたこと、3.原発は絶対安全と思わされたこと。いずれも、冷静で判断力のある支配層・上層部の一部は真実を知っていましたが、被支配層・下層部が簡単に洗脳されて結果として国民全体が一つの方向に意識を向けられてしまう悪い癖があります。
日ソ共同宣言の内容(戦争と自衛権について抜粋) 1956年 12月12日
・日ソ両国は戦争状態を終結し、外交関係を回復する。
・日ソ両国はそれぞれの自衛権を尊重し、相互不干渉を確認する。
日本が国連に加盟 1956年12月18日
日中共同声明(要旨の一部) 1972年9月29日
・中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であること
・中華人民共和国政府は、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄
・主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存
・両国のすべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない
・両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではない
[時代背景]中華大陸を支配していた中華民国とは日中戦争(1937年-1945年)をしていたが、現在中華大陸を支配する中国共産党が独裁する中華人民共和国と大日本帝国は戦争をしていたわけではない。
日中平和友好条約 1978年10月23日
日中平和友好条約は、日中共同声明を踏襲している。