江戸時代の日本人の平均寿命は30歳前後といわれている。
江戸時代の日本人の平均寿命は 約30歳だった
江戸時代後期の平均寿命は男子20.7歳、女子28.6歳といわれる。
17~19世紀「江戸時代」(1603-1867)17世紀では、20歳代後半~30歳
以下、簡単な計算をしてみる。
平均寿命は30歳を仮定する。
一人の大人の健康な女性が一生で産み育てられる子供の数は8人ぐらいだろう、三年に一度出産し、妊娠(一年弱)と二歳の幼児(自分で歩き言葉を話せる)になるまで一人の子供に手をかけて育てることを想定、子供8人だから24年間の母親の子育て期間がある。江戸時代だから避妊具は無し、希望しない妊娠の時はわざと流産(水子)を選択する場合もありうる。実際、末子の乳児が二歳になるまでに妊娠する確率は健康な女性ほど高く、わざと流産した可能性は高いだろう。以後、流産した水子は人数から除外していく。
となると計算上の8人の子供の寿命は、
05歳までに死亡 二人 (確率25%)
15歳までに死亡 二人 (確率25%)
40歳までに死亡 二人 (確率25%)
60歳までに死亡 二人 (確率25%)
これらを合計すると8名で240歳(5*2+15*2+40*2+60*2=240)となり、
平均寿命は30歳(240/8 = 30)となる。
男女比はほぼ1対1だから、8人の性別は、男4人、女4人である。
そして、江戸時代の相続制度「単子相続」から、結婚できたのは、60歳まで生きた男女一名ずつ合計二名だけであり、40歳まで生きた男女一名ずつは結婚していないことも仮定できる。
(もし40歳まで生きた男女一名が結婚していたとすると、人口が短期間で二倍近くに増えてしまうことになるが、江戸時代ではそこまで急に人口は増えていなかった)
あるいは、60歳まで生きた男女一名ずつも、40歳まで生きた男女一名ずつも結婚できたとすると、
60歳まで生きた男女一名ずつは、5人の子供を産み、40歳まで生きた男女一名ずつは3人の子供を産むということになる。望まない妊娠が多く発生するのでわざと流産(水子)を選択せざるを得ない。
また、100人いる村の年齢別の人口比の計算だが、
00歳から05歳まで 53人
06歳から15歳まで 27人
16歳から40歳まで 13人
41歳から60歳まで 07人
となり、完全なピラミッド型人口構造となる。
...
(他の資料をあたってみると)
江戸時代は未婚率が60%以上だったって本当
によれば、上記の計算がおおまかに江戸時代を表していることを示す。
歴史人口学から見た江戸時代農村の結婚について
によれば、江戸時代の農村についてだが、
江戸時代の農村の初婚年齢は、裕福なほど低い。これは貧乏なほど結婚できないことを示す。
東北地方は西日本より初婚年齢がかなり低かったのは、自然環境が厳しく死亡率が高かったから、大人が少く子供のうちに結婚したということ。
結婚した夫婦が産む子供の数は、四人(東北地方・死亡率が高い、東北地方では、飢饉などから嬰児殺しが行われていたという説もある)から、八人(西日本)。
子供八人という数字は、一人の大人の健康な女性が一生で産み育てられる一般的な最大数といえそう。
「江戸時代を通じて10歳以下の死亡率は4割弱に及ぶ」とされておりこれも上記の計算「15歳までに半数が死亡」と一致する。
「(17世紀の)江戸時代の(農村)社会の特徴として皆婚社会であった」とされている、これは17世紀だけの人口急増期間だけの話であることに注意しなければならない。証拠として、「それ以前は嫡子以外は生涯独身であることも少なくなかった。」などの補足がされている。
また、おもしろいことに江戸自体の農村の離婚率は50%を軽く超えていたという、つまり「農村では離婚再婚はかなり高頻度で見られている。...妻の再生産年齢の上限(50歳)まで結婚が継続した「完結家族」は四四パーセント(半数弱)』」
江戸時代の首都、江戸では、男女比率が偏り、男対女は、100:55であるという。単純計算では、100人の男のうち、45人以上は、女とペアを組めない。だが話はそう簡単にすませられない。この男女比率は子供を含むのかどうかが第一のポイントであるが、子供を含まず大人だけの比率が100:55と仮定する。そして、ペアを組み夫婦となっている女は、40人(女の既婚率40/55=0.73)とすると、55-40=15人の女が未婚の大人となる。男は、100-40=60人の男が未婚である(男の既婚率40/100=0.4)。大人の男60人は結婚していないが、女を抱きたいとなる。そうなると、女の不義密通の刑罰が特に厳しい江戸時代なので、未婚の60人の男の相手をする女は未婚の15人の中からとなる。計算では一人の未婚の女性に4人の男性の割り当てとなり未婚の女性は非常にモテる。道徳的な話と女性保護の観点は現代と江戸時代では異なり、江戸には遊郭・吉原があった。ここが栄える必然性は男女比率にあったとも言えるだろう。
(まとめて見よう)
江戸時代では、子供が大人になれるかどうかは五分五分である。
江戸時代では、大人になっても結婚できるかどうかは五分五分である。
江戸時代では、結婚するには家族を養う財産(家と田畑、家と職)が必要である。
(平成時代を考えてみよう)
前提事項として、
私達は全員、世の中を自分にとって都合良く、ついでに皆にとっても都合良くしたいと思っている。だが、良くするという改革の方向は人それぞれ個別の意見があり、なかなかまとまらない。だから、改革はいつも手遅れになってしまう。賢い人ほど、現状の制約の範囲で自分の利益が最大になるように振る舞う。つまり、現状を受け入れることが多くなり、改革について自己主張することは相対的に少なくなる。
以上を、想定しておこう。
そうすると、現状の社会(子育てにとてもお金がかかる、妻や子供に老後の面倒を見てくれないかもしれない、避妊具が発達し性の快楽と子育てを分離できる、金さえあれば誰でも受けられる介護サービスがある)で、日本の若い男性が取る戦略、「結婚をせず子供を設けない」は、彼らにとって合理的である。
さらに、「結婚するときは、子供が欲しいときだけ、ただし優秀な子供が生まれ育つように相手を吟味したい、丁寧に育てるから子供は二人まで」という戦略となるだろう。
少子高齢化は必然と言える。
必要な対策は、「結婚の奨励」や「出産の奨励」、ましてや「移民導入」ではない。
必要な対策は、「人口が減少しながら、国民が幸せに暮らせる社会」の建設である。
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