日本の国境、争点の島
歴史:アイヌが先住し江戸時代から日本領として認識、1855年の日露和親条約で当時のロシアが日本領と認めた。太平洋戦争末期1945年、ソ連(現在のロシア)が一方的に日ソ中立条約を破棄し、8月8日に対日宣戦布告をし、8月28日から北方領土はソ連に不法占拠された。1946年2月2日、ソ連は北方領土を自国領に編入、そのまま日本へ返還されていない。
歴史 1618年から鳥取藩が領地として認識、渡航していた。1905(明治38)年1月に竹島と命名し島根県に編入。第二次大戦直後は連合国が竹島を管理。1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約(日本が日本からの朝鮮・韓国の独立を承認し国境を画定)で竹島は日本領と確定した。1952(昭和27)年1月韓国が、サンフランシスコ平和条約を無視し、李承晩ラインを一方的に設定し、日本の漁民と海上保安庁を銃撃拿捕開始。1954(昭和29)年6月から韓国が日本のが海上保安庁巡視船を銃撃し上陸以後不法占拠。
歴史 1894年まではどこの国も支配していない無人島だった。 1895年1月14日、日本は、尖閣諸島を無主地であることを確認してから国際法上正当な手段で領土に編入した。1894年7月25日から1895年4月17日にかけて日本と中国(清)の間では戦争中でもあり、当時の中国は異議を唱えなかった。以降,日本人が移住し,アホウドリの羽毛の採取や鰹節の製造などを行っていた。最盛期には,200人以上の日本人が居住していた。第二次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は日本の領土として扱われた上で、 沖縄の一部として米国の施政下におかれた。また、1972年の沖縄返還協定によって、日本に施政権を返還する対象地域にも含まれているなど、尖閣諸島は戦後秩序と国際法の体系の中で一貫して日本領土として扱われてきた。現在は日本のほとんどが国有地であり上陸禁止の無人島で、領海警備・取締りを海上保安庁がしている、また、現在も在日米軍訓練区域の爆撃場であり1978年まで実際に爆撃訓練をした。1968年に尖閣諸島付近海底調査で石油や天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認された、それ以後、台湾(中華民国)は1971年6月の外交部声明で公式に領有権を主張し、中華人民共和国は、一つの中国政策の延長で、1971年12月の外交部声明で公式に領有権を主張した。現在、中共の海警部の船が領海無害通航権を逆手に取り毎日侵入してくる。
沖の鳥島は、非常に小さい島である。日本政府は、国連海洋法条約の島であるとしているが、中共政府は条約の第 121 条 3 項により岩であると発言してる。岩か島かそれが、排他的経済水域を設定できるかどうかの境目である。参考
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