世界には、自由でない国がたくさんある。
そして、より自由な国、日本国に私たちは住んでいる。
自由主義を公正に徹底すると、個人にとって厳しいことも起きてくる。
個人の思想、信条、宗教、発言、行動は自由であるが、責任が伴う。
親子の生活は、親子で自立しなければならない。
国を成り立たせるために納税しなければならない。
幸せになるかどうかも個人の自由だし、
何を幸せと感じるかさえもその人の自由だ。
犯罪を犯せば逮捕収監されるのは当然だし、
良いことをすれば、称賛されることになる。
自由主義の国では、社会主義・共産主義・全体主義・封建制度に
凝り固まった人間も暮らしており彼らも意見を述べることか許されている。
あなたがどんなにいいことをしても、自由主義以外の観点で
嫌味を言ってくる者は必ずいる。それが世の中というものだ。
どう生きるかは自分次第、だれもあなたの生き方を強制していない。
どう生きるかを自分で選ばなければならないという意味で、
さらに、生きた結果は、自分の責任であるという意味で、
自由主義は厳しい社会であるが、
経済的にも政治的にも最大限の達成を期待できる社会である。
自由主義以外の社会主義、全体主義、共産主義、封建制度は、
どう生きるかは、権力者から強制され、
文句を言えば、いじめられたり最後には抹殺される暴力社会である。
人間の社会の歴史は、
封建制度、共産主義、全体主義、社会主義、自由主義へと変わり、
つまり、暴力で支配する社会から、法律とお金の合理性を重視する社会へ、
一部の権力者だけが支配する社会から、選挙による民主主義へ、
全員の自由が拡大された公正な社会となってきたのだ。
民主主義とは、より多くの人が望むことが政治として行われるべきだという思想である。
そして、個人の自由と全体の都合は対立しやすい。
個人の自由の範囲と全体の都合は、各自がよく考えなければならない。
お金を卑しいものと蔑むことは、暴力=権力を優先する
封建制度、共産主義、全体主義、社会主義の悪習である。
暴力を減らし争いを合理的に平和的に解決するためにお金はある。
自由主義では、国民の個人の財産を奪うことはできないという原則がある。
財産の多寡で国民は政府から差別されないから、一人一票の投票権がある。
平和時の政府が行うサービスの料金支払いは納税で果たされる。
自由主義を公正に徹底すると、
使った分だけ支払う受益者負担の税が最も合理的で平等だ。
犯罪者は、捜査・裁判・収監の費用を支払う必要がある。
国防の負担は、地価に定率でかかる不動産税で賄うことが合理的である。
政府の権力で通用させる通貨の利用料という意味で、
消費税と所得税の税率は誰でも一定が最も合理的で平等だ。
自由な国であれば、教育をする方もされる方も自由だから、
義務教育の必要性をつきつめて考え直しておかなければならない。
一部の危険な外国からの侵略を防ぎ、
社会の世代替わりと維持・発展を考え、
国民が外国より幸せに暮らせるようにと願う親や先輩の立場から
義務教育は必要と考えられている。
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学校に期待することは、集団生活の訓練が第一、知識の習得は第二である。
集団生活の訓練とは、
会議、議論、発表会、運動会、文化祭、部活動の訓練である。
これは実地訓練であり知識の習得ではない、
実際に人が集まらなければできないことである。
知識の習得が第二になったわけは、スマホなどを利用して
いつでもどこでも知識習得と採点を行える時代だからである。
知識の範囲は、
・上記の自由主義社会の道理
・お金の儲け方・使い方・増やし方
・職業の種類とその道筋
・学問としての知識教育
である。
現代日本の先生方に期待することは、
会議、議論の訓練において建設的な議論の進め方として
自分の意見を述べる方法、他人の意見を聞く方法であり、
社会から貧困をなくすために、
お金の儲け方・使い方・増やし方
である。
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