山岸 俊男 さんの「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」に紹介されていたのですが、
「市場の倫理 統治の倫理」(Jane Jacobs (原著), 香西 泰 (翻訳) )には、
市場の倫理として、市民である商人の倫理と
統治者である議員、大臣、公務員の倫理が解説されているそうです。
(私はまだ読んでいませんので、図書館で探してみるつもりです)
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市場の倫理は、
暴力を締め出せ(殺すなかれ)
正直たれ
契約尊重
他人や外国人とも気安く協力せよ(自発的に合意せよ)
競争せよ(目的のために異説を唱えよ)
勤勉になれ
節倹なれ
効率を高めよ
新奇・発明を取り入れよ(創意工夫の発揮、快適さと便利さの向上)
生産目的に投資せよ
楽観せよ
です。
山岸 俊男 さんによれば、市場の倫理の具体例は、石門心学の石田梅岩、近江商人の商人道、松下幸之助、本田宗一郎だそうです。
市場の倫理は、仏教やキリスト教の規範(殺すな、正直、汝の敵も愛せよ=誰とでも協力)を含みます。
松尾 匡さんによれば、市場の倫理は、
お金を媒体とした相互信頼による開放型の個人主義社会とも言えます。
市民・商人が勤勉さを失えば、あっという間に収入が減り没落してしまうでしょう。
ネットの書評では、例として、1980年代の英国病が上げられています。
統治の倫理は、
目的のためには欺け
復讐せよ
排他的であれ
規律遵守
伝統堅持
位階尊重
忠実たれ
勇敢であれ(剛毅たれ)
名誉を尊べ(見栄を張れ)
運命甘受
余暇を豊かに使え(?)
気前よく施せ(慈善のこと)
取引を避けよ(?)
です。(後で新統治の倫理を紹介します)
山岸 俊男 さんによれば、統治の倫理の具体例は、新渡戸稲造の武士道だそうです。
ネットでの感想・書評によれば、マキャベリズム(マキャベリの君主論)、孫子(古代中国の孫武の兵法書)も統治の倫理に入るそうです。
統治の倫理は、仏教やキリスト教の規範(殺すな、正直、汝の敵も愛せよ=誰とでも協力)を含みません。
「目的のためには欺け」とは、
スパイを使う情報撹乱戦術で敵を弱らせることです、
敵(侵略国)を騙すにはまず味方からという感じですかね。
「目的のためには欺け、復讐せよ、排他的であれ」の3つは、
政治のトップ、最高権力者の権力争いで用いられる倫理です。
自由民主党が自由主義でも民主主義でもなくなってきている様子や
選挙前の公約が政権を取るとコロッと変わって原発推進となってしまうことなど
ここでいう統治の倫理に忠実ですね。
復讐とは、江戸時代の仇討ちのことですね。
排他的とは仲間はずれにすること、つまりイジメ体質そのものです。
「規律遵守、伝統堅持、位階尊重、忠実たれ」は、
政治権力の組織での二位以下から最下位の下っ端までが守るべき倫理です。
要するに縦割り行政そのものです。だから動きが鈍くなります。
警察の犬とはよく言ったもので、犬のように忠実になれということです。
「勇敢であれ、名誉を尊べ、運命甘受」とは、
権力を上り詰める者が備えるべき品格です。
時代劇の武士ヒーローそのものですね。
勇敢=自分の命を投げ出せるくらいでないと戦争=殺し合いはできません。
名誉を尊べとは、日本の武士の恥じの文化=切腹の文化でしょうか。
運命甘受とは、特攻隊精神ですね。
「余暇を豊かに使え」とは、
ヨーロッパの貴族はナイト=騎士=軍人であり、
ふだんは訓練も少しはしますが、
ほぼ訓練と称してスポーツで遊んで暮らすから、
余暇は豊かに使うわけです、
戦争の時は、もちろん軍人が命を張ります。
今風に解釈すると、
公務員が張り切りすぎて余計な仕事をすると
権力を振りかざし、息苦しい世の中になったり、
賄賂を要求したりするので遊ばせておけという意味かもしれません。
私なら、遊ばせて給料を支払うくらいなら公務員を削減してもらいたいです。
「取引を避けよ」とは、よくわかりませんが、
お金で買わずに戦争で略奪しろということだと思います。
統治の倫理の世界つまり力の政治の世界でボスになるためには、必ず血が流れます。
現代の民主主義では、選挙によって血をできるだけ回避している訳ですが、
それでも権力闘争は熾烈で、誹謗中傷、策謀があります。
現代日本では、特捜検察の登場となり自殺者の出現となります。
参考によれば、統治の倫理は、人間だけではなく動物(犬とかチンパンジーです)も持っていて、
それだからより本能的で原始的です。
市場の倫理は人間しか持たないそうです。
[著者のJane Jacobsさんから引用]
統治の倫理を使う場所は、軍隊、警察、及び政治権力機構、つまり公務員。
市場の倫理を使う場所は、商業取引と日常生活、つまり一般市民。
利潤の追求を統治の倫理に入れると公務員はすぐ汚職と賄賂で腐敗してしまうそうです。
市民なのか公務員なのかで倫理を使い分けないと
公務員や独占企業で巨大な腐敗を招く、
しかし使い分けはとても難しいということが、
Jane Jacobsさんの結論です。
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[独自意見]
あるいは受け入れられなかった読者がネット上に半数ぐらいいるようです。
私は受け入れたつもりですが、
統治の倫理は今の民主主義に合わせて書き直すべきと考えています。
族議員、御用学者、原発村、補助金という言葉はだれでも知っています。
その意味するところは、
現状の日本では、少数の者が僅かの献金により利権を維持しやすく、
またその既得権が安定して継続してしまい、
国民全体最適とならないこと(社会的ジレンマといいます)です。
古い日本社会では「仲間の目」が神 = みんなヤバイと思っているが、
仲間から腰抜けとみられるのがいやで言い出せない(空気を読む社会のことです)、
現代の若者も未だに古い日本の社会に住んでいるようです。
つまりいまだに個人主義ではないそうです。
(市場化の時代に見直す江戸期商人道 立命館大学経済学部 松尾 匡 さんより)
私は、日本で社会的ジレンマを招く理由は、
太平洋戦争で作った軍国主義の要である集団主義の体質から
未だに抜けだせないでいる国民の思考パターンを放置してしまう
現行日本国憲法の大きな欠陥が原因である考えています。
市場の倫理と統治の倫理の結論から解ることは、
公務員に金を渡して長期運用させるようなこと(今の日本の年金)をしてはいけないし、
公務員に技術開発(原発開発)、科学研究(御用学者)をさせてはいけないし、
公務員に商売(郵貯とか)をさせてはいけないし、
公務員に補助金配りをさせてはいけない
ということです。
統治の倫理を行う公務員は、猜疑心の強い心理状態で仕事をすることになるので
公務員は人数が少ないほど、あるいは公務員が仕事をしないほど
社会にとって良いと思えます。
つまり、統治の倫理を行うならその公務員が少ない小さな政府こそが、
腐敗のない理想社会の基本です。
そうれば、一般市民が伸び伸びと正直になり互いを信頼し合い、
自由競争が保証された公正な市場で取引をすることが国の経済繁栄となることとなります。
もし、企業が、統治の倫理を市場の倫理より優先すると、
その企業は、必ず事故を起こします。実例は福島第一原発事故。
身内の都合を優先、外部に不誠実、異論者・告発者を迫害、可能な限り隠蔽を図り、
さんざん叩かれた末、言い逃れができなくなってから頭を下げる、
外部に対して常に責任逃れとなります。
国家の定義を世界で他国と戦争をして領土を奪い取る物と定義すると、
国家権力は、内部も外部=外交も統治の倫理だけで良いのですが、
そうなると戦争を招いてしまいます。
そんな野蛮な時代は終わったし、終わらせると誓ったのが、
今の民主主義の日本国です。
ウソをつくな/安全保障機密を除き隠すな
公共政治は多数決/私企業はトップが最終決断
討論では寛容と譲歩
決断が下ったら互いに協力せよ復讐するな、妬むな、恨むな
悪い伝統は捨て良い物は取り入れよ
規律遵守
位階尊重
憲法、法律に忠実たれ(法治国家)
名誉を尊べ(公務員に一流企業並の生活は保証するから、清廉であれ)
勇敢であれ(剛毅たれ)
運命甘受
公平であれ、愛情を持って市民に接するべし
人員削減(不要事業の廃止、組織の簡素化)
減税(政治(私企業では管理業務)は、金儲け、学問研究、補助金配りをしない、経費削減をする)
基本は平和と友好の外交、武力侵略禁止、経済侵略禁止、ただし自衛権あり
自国の信用最優先の応報戦略の外交取引、情報を集めよ、正論を喚起せよ
「応報戦略」とは、相手が友好的ならこちらも友好的に、相手が敵対してくればこちらも敵対する戦略。繰り返し型のゲーム戦略で最も単純だが最も効果が高い優秀な戦略であり、一方的にカモられることもない(参考 「社会的ジレンマの仕組み」 山岸 俊男 さん)。
一般的企業は、新統治の倫理を内部組織の管理に使い、
市場の倫理を顧客と市民に向けて用います。
でも、企業は、市場の倫理を新統治の倫理より優先しないといけません。
日本国の政府には、新統治の倫理が相応しいです。
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