今回の台風・大雨の洪水等の災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
福島県相馬市では、令和元年(2019年)10月12日の台風19号による数日続いた大雨で、宇多川が氾濫。10月25日にも、夕方から深夜にかけて、1時間に50ミリを超える非常に激しい雨が降り、小泉川が氾濫。
気象庁の相馬市の過去データ(https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_a.php?prec_no=36&block_no=0285&year=&month=&day=&view=)を見てみると
日降水量
1位 269mm (2000/7/8)
2位 233mm (2019/10/12)今回
3位 228mm (2006/10/6)
4位 226mm (2019/10/25)今回
5位 224mm (1996/9/22)
6位 219mm (1992/6/21)
7位 209mm (2008/8/21)
8位 206mm (2009/10/8)
9位 204mm (1986/8/5)
10位 174mm (2004/10/9)
である。今回の台風19号による数日続いた大雨は、2位。今回の10月25日大雨は4位である。
自分は、相馬市に親戚があり1981年から年に数回訪問している。
親戚の住宅は今回の洪水で床上浸水(約40cm)の被害を受けた。
しかし、その家は、日降水量「1位 269mm (2000/7/8)」及び「3位 228mm (2006/10/6)」や「5位 224mm (1996/9/22)」その他む200mm越えでは、まったく浸水されていなかった。
「日最大1時間降水量」や「月降水量の多い方から」のデータからも、2019年が特別な異常値ではないことがわかる。
したがって巷の俗説「地球温暖化原因説」だけが、今回の洪水災害の原因ではないと思われる。
以下は私個人の仮説。
2011年に発生した東日本大震災による津波と福島第一原子力発電所の爆発事故からの復興のために、多くの住民が転居し、相馬市は都市化がここ9年で大きく進んだ。相馬市の沿革から抜粋すると、平成27年 2015年常磐自動車道全線開通。平成27年 2015年 住宅団地完成(刈敷田、南ノ入、山信田、北高野)平成29年 2017年東北中央道開通。山林を切り開き、田畑を埋めて、コンクリートとアスファルトで固めた道路と住宅と事業所が一気に増えた。震災後、町の景観が一気にコンクリート都市に変わっているのだ。
このため、令和元年の相馬市は大雨に対する保水機能が失われ、震災前は耐えることができた雨でも、震災後は耐えることができず洪水になってしまうのだろう。
以下は、相馬市の災害歴史を市のHOME-PAGEから抜粋したもの。
定期的(10-20年毎)に台風被害があった。ただ、平成12年(2000年)以来台風被害がなく、今年はそろそろ危ない年だったともいえる(あくまで結果論)。
https://www.city.soma.fukushima.jp/shiseijoho/shinogaiyo/2862.html から
江戸時代後期、東北諸藩を襲った天明・天保の大ききん
昭和33年 1958年 台風22号による大水害発生。
昭和46年 1971年 台風23号により大被害。
昭和53年 1978年 宮城県沖地震により大被害(被害総額約5億円)。
昭和62年 1987年 節分の大雪(積雪50センチ)。
平成元年 1989年 台風13号による記録的な集中豪雨で過去最悪(18億7千万円)の大被害。
平成12年 2000年 台風3号による被害。
平成23年 2011年 東日本大震災発生。相馬市で震度6弱、マグネチュード9.0。津波9.3メートル以上 犠牲者458名(津波犠牲者457名)。磯部地区、原釜地区など津波で集落が流失。住宅被害5584棟 被災水田面積1102ヘクタール。市災害対策本部設置(6月18日まで市役所毎日開庁)。放射線量測定開始(乳幼児、中学生、妊婦)被災者生活支援金支給。
結果論ではあるが、東日本大震災後の復興においても、洪水対策の一環として、新開発の団地や工場事業所にて、雨の保水機能を高める調整池や浸透桝の設置を市条例にて義務つけておけばよかったかもしれない。また、文化施設や高速道路より、防災施設を優先して、河川底の掘削・掘り下げや堤防のかさ上げをしておけばよかったかもしれない。
いままでは、全国どこの市町村でも、災害が起きてから対策をすることが普通であった。これからは、災害の歴史を見て、自分の街の備えをすることが、政治家に求められる見識になると嬉しいものである。
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