以下のニュースの疑問を調べてみた
韓国戦闘機がロシア軍機に警告射撃
露軍機に警告射撃360発 「領空侵犯」と韓国軍 竹島周辺上空
ロシア外務省、韓国への領空侵犯を否定
Q. 日本の航空自衛隊は出動したのか。
A. 航空自衛隊はきちんと戦闘機を緊急発進して監視していた。「日本は何もしなかった」はデマ。
参考 中国機及びロシア機の東シナ海及び日本海における飛行について 統合幕僚監部
Q. 日本の航空自衛隊は、何故威嚇射撃をしなかったのか。
A. 日本政府は、竹島上空の領空を日本の防空識別圏に設定していないため。
日本政府は竹島は日本固有の領土としながらも、侵略国の韓国との平和的な解決を目指すとの立場から、防空識別圏から外している。
防空識別圏かつ領空であれば、威嚇射撃する。
対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件 1987年(昭和62年)12月9日
Q. なぜ日本は侵略されているのにまだ平和的な解決(遺憾砲)を目指すのか
A. 第一に、最も重要な国際法、国際連合憲章に、いまだ、敵国条項が残っており、日本が先に攻撃した場合、「安保理の許可がなくとも敵国に対して軍事的制裁を課すことができる」とされているから。安全策をとっているため。
第二に、韓国が竹島を侵略した時から、一貫した平和的な解決を目指しているため。
年表
・江戸時代 江戸幕府公認の下航行の目標及び船の停泊地として、アシカやあわびなどの漁猟に利用。
・1905年(明治38年)01月xx日 明治の日本政府は閣議決定で無主地であった竹島を島根県隠岐島司の所管とした。
・1951年(昭和26年)09月08日 サンフランシスコ平和条約が署名(朝鮮半島が日本の一部だったこと及び韓国亡命政府は日本と全く戦闘しなかったため、韓国は招請されず署名もできなかった)
・1952年(昭和27年)01月18日 韓国大統領の李承晩が李承晩ラインを宣言し竹島を領土宣言、日本政府もアメリカもこれを国際法上不当なものと抗議した。
・1952年(昭和27年)07月26日 サンフランシスコ条約発効と同時に日米安保条約を発効も、アメリカ軍は竹島を奪回してくれなかった。
・1953年(昭和28年)02月04日 第一大邦丸事件、日本人船長が韓国軍から銃撃を受け死亡。
・1953年(昭和28年)04月20日 韓国の独島義勇守備隊が竹島に駐屯。
・1965年(昭和40年)06月22日 日韓基本条約で李承晩ラインが廃止されるも、韓国はそのまま居座る。
敵国条項
国連憲章の旧敵国条項(第五十三条、第百七条)に関する質問主意書
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